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異常な日々の異常な雑記

人文科学空間その2 ニュースへのツッコミ&雑文中心のブログ
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理不尽を金に変えるには

過払い金請求訴訟のブームが終わって、弁護士の食い扶持が減ってきているそうです。

若手は困窮!日弁連離れも誘発 弁護士界がさいなまれる人数論の呪縛

司法改革の結果、弁護士のあり方は昔とは随分変わりました。
2000年に法律事務所の広告出稿に関する規制が緩和され、街中やスポーツ新聞、あるいはテレビでも、債務整理を呼びかける広告を見るようになり、2006年に司法試験改革が行われ、司法試験合格者数が従来より大幅に増加しました。
昔は弁護士ってだけでそれなりに食えたけどそうもいかなくなってきた、ということですね。

世の中には、放っておくと無茶苦茶なことをやる人がたくさんいて、そういうのを取り締まるために法律が存在しているのですが、これまでの司法のありようでは、そういう無茶苦茶な人や組織を糾弾するには訴訟のハードルが高すぎてなかなか一般人が理不尽と戦うのは難しかったのだけれども、これからは弁護士が積極的に営業活動をすることで、理不尽を追求しやすい世の中になるのかなあ、と以前は漠然と考えていました。

別に弁護士が正義の職業で聖職だ、なんて思っていたわけではないし、アメリカは訴訟亡国なんて呼ばれているくらいで、訴訟沙汰が増えることを無条件に歓迎することはできないわけだけれども、それでも個人が権利を主張しやすくなるのはそれなりに社会正義の実現に一役買うものだろうと思っていたんですけどね。
たとえば、サラ金の過払い金請求バブルが一段落したら残業代の未払い請求訴訟がブームになるんじゃないかなあ、と思っていたんですが、そのような兆候もなく、過払い請求みたいなブームにはなっていないですね。
残業代未払いの広告はまだネットでチラホラ見るくらいですが、テレビCMでそういうのを見るようになったら多少は変わるかな、という期待はまだ捨て切れません。

参照記事中では弁護士が増えたのにも関わらず、弁護士会への上納金が高すぎる現状が書かれていましたけど、弁護士会内部の既得権益が崩れないと、外側だけ規制緩和しても…ということなんでしょうか。
でも、営業が足りないよなあ、というのは思いますね。
世の中理不尽なんかいくらでもあるんだから、飯の種に困らないだろう、と。


日本で自殺率が高かったり、失業率が高かったり、ワーキングプアが多かったり、というのは理不尽です。
そうした理不尽を変えるのは政治の役割ですけど、この20年、改革改革と言って来た割には全然、世の中はいいようには進みませんでした。
上から変えるのは無理なのかな、という気もしないでもありません。
日本は伝統的に兵士は強く、指揮官はダメ、という傾向が強いですからね。
ならば下から、弁護士の力を借りた庶民たちの権利主張によって世の中を変えていく仕組みをつくることはできまいか、ということも考えたりしたんだけど、全然ですね。

理不尽を金に変えることは不可能ではないはずなんですけど、そういうシステムがまだ十全に機能していない、ということなんですかね。
そこんところも増えすぎた弁護士たちが食い扶持を確保するために戦って変えればいいと思うんだけど。
せっかく法律という武器を持っているんだから。

関連記事:僕と契約して法科大学院生になってよ(0w0)司法制度改革とは何だったのか(百鏡凛菓)

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[ 2012/03/22 ] 考察 | TB(0) | CM(0)

何が問題かを決める権利はマスコミのものだから

ワタミで26歳の女性が過労自殺した事件が報じられたのはもう1月近く前の話ですが、その後も続報が続いていますね。

15時間労働で休憩わずか30分! 入社2カ月で過労自殺するワタミ社員のスタンダードな働き方
「頑張らなければいけない」空気に、人が組織で取り囲まれる怖さ-渡辺美樹氏、木村剛氏を観察した私の経験から

また、このような事件をなくすためにはどうすればいいか、という提案を誠実に書いているサイトも
【日本はもっと素敵な国になる!欧米に可能なら日本にも可能のはず~残業ゼロが常識になる社会へ】

いずれもネットメディアの記事なわけですが、大手マスコミからは全然、続報が聞こえてこないですね。
風化させてはいけない事件だと思うんですけど。

この国で何が問題かを決めるのって大手マスコミです。
大手マスコミが動かないとこういう問題を変えようという動きは起こらないですからね。
世の中の仕組みを決めている政治家は爺さん達で、ネットなんか見ていないから何が問題なのか、というのは大手マスコミの報道と、高齢者ばかりの地方の選挙区の選挙民達の陳情を通してしか、認識することはできないです。
webサイトのPV数とか、2ちゃんねるのスレッドの勢いとか、ツイッターのトレンドとか、はてなのホットエントリーのブクマ数とか、少なくともネット民が何に興味を持っているのか、というのは可視化されていて、何を問題視しているのか、というのはわかりやすいほどわかるというにも関わらず、マスコミ、特に編集長とかデスクと呼ばれている人達がそういうものに注意を払っている形跡は全然見られません。
昔ながらの問題意識のセンスでニュースを作っている。
そういうズレが、昨年のアンチ韓流デモで爆発したんじゃないですかね。

何が問題かってのはわりと指摘されないと理解できなかったりします。
病気の自覚症状があるかないかみたいな感じで。
大抵の人間はこれが問題ですよ、と言われるまで気づかないもんですよ。
まあ、東日本大震災みたいな問題が発生したらさすがにこれが問題だ、とわかるけど、事態が複雑化、細分化していくと指摘されなきゃわからなくなっていくし、指摘されてもわからなかったりすることは多々あります。
マスコミはある意味「社会の医者」みたいな役割を担っている部分もあったと思うんだけど(幻想ですけどね)、今は問題を設定、指摘する能力がネットの集合知に追いぬかれてしまったな、という印象があります。
でも、ネット民の多くは何が問題かわかったところでこの高齢化した現実社会を動かす力は小さいですからね。
絶望だけが積もっていく、と。
ネットとマスコミで、問題意識のズレがある程度解消できたらわりとよい世の中になるような気がするんだけど、どうかなあ。
実際に問題設定の権利を握っている人達が世代交代すれば状況が変わる、ということもありえるんでしょうか。

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[ 2012/03/19 ] 考察 | TB(0) | CM(0)

Manic Street Preachers『A Design for Life』を聴こう

マニックスは、ウェールズのロックバンドです。
ブリットポップブームと同時期にブレイクしたバンドですが、それらとは一線を画し、独自の存在感で人気を獲得しました。
ブリットポップブーム終了後も根強い人気を保ち続け、現在も第一線のバンドとして活動しています。
ざっとその経歴を見ると、

・パンクバンドとしてデビュー
・1stアルバムを世界中のチャートで1位にして即解散宣言
・「嘘つけ」と言った記者に抗議してその場で自傷
・案の定、1位をとれずやっぱり解散もせずにハードロック路線(というより産業ロック路線)に
・パンク路線に復帰。テレビ番組において目出し帽スタイルで演奏したため、セックス・ピストルズを上回る抗議がテレビ局に殺到
・リズムギターのリッチー・エドワーズ失踪(その後も発見されず2008年に裁判所より死亡宣告)
・ポップで哀愁あふれるメロディーが満載の4thアルバムで大ブレイク
・資本主義圏のロックバンドとしてキューバで初めてライブを開催し、カストロ議長とも会見


という「ロック」な経歴を持つロックバンドです。

まあ、詳しいバンドの説明はwikipediaなんかで読んで頂ければいいんですが、私はリッチー失踪の直前くらいからファンになって、ずっとその動向を追いかけています。
もう活動歴は20年になりますが、いまだにコンスタントにライブをやり、アルバムを作り続けている勤勉なバンドです。
「ロック」なんだけど、勤勉。
そこがガンズなんかと違うところです。
ワーキングクラスヒーローを地で行っている感じですね。
その彼らがブレイクを果たした曲が『A Design for Life』



UKチャートで2位を記録したんですが、これほどあからさまな労働者の歌が大ヒットを記録する、というのもなんだかすごいなあ、と思います。
彼らの地元では歌碑まで作られてたりします。
ライブではサビで大合唱ですが「人生設計!人生設計!人生設計!人生設計!」というフレーズで一つになれるとは、恐るべしイギリスの労働者って感じです。
日本の音楽は歌詞に社会的メッセージを込めた曲ってそれほどヒットしないですからね。

以下、訳詞

図書館を俺達に力をくれた
労働は俺達を自由にした
ひとかけらの尊厳にどれだけの価値があるのか

俺はボトルを手にして、今すぐここで、俺の汚ない顔に傷跡をつけたかった
俺がどこからやって来たのかを示すためにさ

俺達は愛なんか語らない
呑んだくれていたいだけさ
俺達は消費を許されていない
ここで終わりって言われているからな

人生設計 人生設計 人生設計 人生設計




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[ 2012/03/19 ] 音楽 | TB(0) | CM(1)

学校でイデオロギー闘争をしても無意味

橋下大阪市長の動向がニュースにならない日はないわけですが、マスコミで話題になるのは資産課税やベーシックインカム、首相公選制の是非よりも教育改革の内容に関してのものが多いように思います。
実際に進行中の政策ですからね。
私自身は教育改革についてはどうでもいいと思っていたんで特に関心を払っていなかったんですが、それでも君が代斉唱時の口元監視、なんて現象はそれなりに滑稽に見えたんで何か書こうかな、と。


維新の会がやっている教育改革はイデオロギーを制度にしようとすることだと思うんですよ。
国旗国歌は日本国の象徴であり、それは敬ってしかるべきでものである、という強固な信念があって、それを学校教育の中で徹底させようとしている。
一方それに反対する人達も自身のイデオロギーがあって、それを曲げることができないから君が代を歌いたくない、と。
思想信条の自由が憲法で認められているったって憲法違反しても罰せられるわけじゃないですからね。
憲法を憲法たらしめようとしたら国民世論として憲法を守ろうという意思が強くなければ、憲法など権力握った人間に都合のよい解釈でどんどん守られなくなっていくだけです。

で、権力を握った橋下市長は自分のイデオロギーを押し付けようとし、不起立教師の人達は自分たちのイデオロギーを守ろうと必死になっているんですが、どうにも馬鹿馬鹿しい行動に見えてしまいます。
それは彼らの思想が曲がっているからではなくて、彼らが思想に身を捧げてしまっているからです。
イデオロギーなんてのは幸せになるための方法論でしかないので、イデオロギーを守って不幸になるのは、手段と目的を履き違えているんじゃないかと。
幸せになれるんならどんなイデオロギーでもいいだろうし、手段のために危ない橋を渡らなくてもいいんじゃないの、と思うんだけど、「特定の手段を使って目的にたどり着かないと幸せにはなれない」と思い込んでいるんですよね。
そういう人が世の中にはわりと多いんだなあ、ということに改めて気づかされましたよ。
条例で決まっちゃったんなら、職を失いたくないなら従うしかないでしょうよ。

一方で、橋下市長の思惑としては国旗国歌に対する忠誠心を子供たちに植えつけよう、ということなんでしょうけど、それも意味の薄い事だと思います。
20年前ならともかく、このネット時代にどんなイデオロギーを植えつけたってネットの影響力の前じゃ、思想信条なんてころっと変わりますよ。
戦後はずっとリベラル教育が為されてきたけど、ネット時代になったら保守の声が圧倒的に大きくなりましたからね。
また何かの拍子に風が吹いたらリベラルに寄ることもあるでしょうが。

今の時代に学校で思想教育なんかしたってほとんど意味はないと思うんですよね。
学校で教えることに意味があるのはやっぱり学問です。
読解力と計算力と感受性と想像力をどこまで伸ばしてやれるか、そのことに注力すればいいのに、今だに教育がイデオロギー闘争の場になっているのは馬鹿馬鹿しい現象だな、と思います。
学校なんて右でも左でもどっちでもいいよ。
そして、その教育を受ける子どもが減っていることに対する政策が一切為されないことには腹立たしさを覚えますね。
イデオロギーを注入するよりも、子供たちに友達が沢山いたほうが豊かな世の中になると思うんだけどね。

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[ 2012/03/17 ] 考察 | TB(0) | CM(3)

萌え豚に喰われないSF

ハードSF、という言葉はほとんど死語なのだと思うけど、それにしてもこれはSFだよね、という作品が大ヒットしなくなって久しいです。
『魔法少女まどか☆マギカ』だって『天元突破グレンラガン』だって、『アクエリオン』だって、一応SFしているんだけど、それを受容している側にSFファンである、という自意識の人は少数でしょう。
多分、『攻殻機動隊』あたりがSFとしての最後の大ヒット作になるんですかね。
ノベルゲームの『シュタインズ・ゲート』はSFマインドあふれる傑作で、昨年アニメ化されて評価も上々だったけど、やっぱりキャラクターの「萌え」に話題が集中していってしまいました。
まあ、元がエロゲー作っていた会社の作品だからしょうがないんだけど、もう、設定の奇抜さやガジェットの面白さ、思弁的な文章がメイン要素として受ける、ということはないんですよね。

そういうものを共有するコミュニティに属することが、多分80年代前半くらいまでは時代の最前線であるかのような幻想を抱けていた時期がたしかにあったんだけど、今は「萌え」を共有することが時代の最前線であるかのような幻想を抱かせているんじゃないですかね。
SFの新しいアイデアが次々とファンに喜ばれたように、新しい属性が次々とファンに喜ばれている。

SFにしろ、「萌え」にしろ、外部から見ればダサイ趣味でしかないわけだけれども、「萌え」を共有するコミュニティはかつてSFを共有していたコミュニティよりも圧倒的に巨大で、現在ではコミュニティを超えた外側でも、日常的に「萌え」な話題が取り上げられています。

まあ、単純に活字のフィクションを読まない人が増えてしまったからコアなSFファンがいなくなってしまった、というのは大きいんだと思うんですけどね。
SF自体がレトロフューチャーなものになってしまった、と。

でも、たとえば、歴史小説とかミステリーとか幻想小説とか純文学にもそれなりの規模のコミュニティがずっとあるわけだけど、それらはオタク文化のような巨大な後継文化を生み出さなかったかわりに、今でも文化圏としての活況をきっちり保っています。
純文学の凋落は著しいものがあるけど、それでも内部の活気はそれなりにあるし、芥川賞で繰り広げられるプロレスは毎回注目されている。
それにひきかえSFは…。

90年代に『星界の紋章』というSF小説がSFの総本山たるハヤカワ文庫から出版されて中ヒットしたけれども、あれも結局は萌えに吸収されてしまいました。
吸収されてしまうんだよなあ。

ラフィール、ブヒィィィ!

ミステリーとか純文学とか時代小説で可愛い女の子が出てきたってそうそう簡単には萌え豚に食われることはないのに、SFで可愛い女の子が出てきたらすぐに萌え豚に食われてしまうんだよ。
『攻殻機動隊』だって少佐を食ってた萌え豚どもは多数いたしね。
となると、『AKIRA』まで遡らないと萌え豚の餌にならない国産純SFのヒット作ってないのかもしれないですね。
多分、『銀河英雄伝説』も同時期か。

でも、海外のSF作品は萌え豚どもに陵辱されずに純潔を保ち続けているにも関わらず、『アバター』とか『ガタカ』とか『マトリックス』とか『マイノリティ・リポート』とかそれなりに大ヒット作を作り出しているんだから、日本SFだってがんばりゃいいんだけど、そうはならないですね。
『サマータイムマシンブルース』が微妙なヒットを記録したくらいか?
そこらへんは実写映画をたくさんつくれるハリウッドの強さなのかも知れませんね。


優れたSFの資質を持った日本の作家達はエロゲーやラノベのフォーマットでしか作品を発表できにくくなってしまった感があります。
萌え豚に媚びなきゃ商売として成り立たない状況なのかな、と。

萌え豚の鳴き声が聞こえてこないSFが主流になればいいのに。
もう小松左京やスタニスワフ・レムのような作家に脚光が浴びせられる、という事態は起こらないのだろうな、というのが寂しい。
そうは言いつつ、自分が萌え豚に堕してしまう瞬間があることも否定しないけどね。




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[ 2012/03/16 ] サブカル | TB(0) | CM(1)