2006年05月 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

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アンドレイ・タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』

[ 2006/05/31 ]
67年製作のタルコフスキーの長編2作目。
15世紀初頭、タタール人の侵略にあえぐロシアを舞台に、ロシアが生んだ最高のイコン作家、アンドレイ・ルブリョフが覚醒するまでの過程を重く、暗く描いた3時間の大作。

ちなみにイコンとは、正教会で用いられる宗教画。
以下のようなものを指す。
http://www.cele-jp.com/mopp/pics/maria.jpg

http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/gazou/icon/david.jpg


相変わらず筋の追いにくい構成だが、今回は常のような詩的想像力を喚起させるような美しい描写はほとんどなく、虫けらのごとく殺されていくロシア人や、同胞を裏切るロシア人など、極限状況が淡々と描かれていく。
そんな中で希望を持とうと歩み続ける人達の記録。

ラストシーンの荘厳さは息を飲ませるものがあるが、そこにいたるまでの過程が長すぎる。
彼の本来の持ち味を殺してまで演出するほどの価値があったのか疑問だなあ。


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[ 2006/05/31 ] 映画 | TB(0) | CM(-)

アンドレイ・タルコフスキー「僕の村は戦場だった」

[ 2006/05/27 ]
62年製作のモノクロ映画。タルコフスキーの長編第一作。
後年の作品の難解さを考えると、驚くほどわかりやすい。

家族を殺された12才の少年が復讐に燃え、ナチスと戦うべく、ロシア軍の斥候として従事する話。

いささか無駄なエピソードに尺を裂いていたり、逆に描写不足なエピソードもある為、テーマの悲壮さを際立たせることに成功しているとは到底思えない。
少年の回想と現実の対比によって、戦争の悲惨さをアピールしようとの目論見だろうが、現在となっては同様の手法を用いる映画はいくらでもある。
なので、ことさらストーリー自体を持ち上げることもないのだが、それでもこの映画はいい。

これまで見たタルコフスキーの映画はすべてカラーのものだったのだけれど、モノクロでここまで想像力をかきたてる映像を形にできる手腕がすごい。
豊かな表情をたたえる水の描写は、どんな役者の演技よりも雄弁にこの映画を象徴している。
どうやったらこんな風にただの水にここまで主張させることができるのだろう。
少年が思い出の中で、水の上を駆けていくシーンは白眉の出来。
本当に切なかった。


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[ 2006/05/27 ] 映画 | TB(0) | CM(-)

ダンテ・アリギエーリ「神曲」

[ 2006/05/26 ]
河出版の平川訳が良い、というので3,800円も出して購入。

700年前のイタリア語文学。
韻を踏んだ三行詩を日本語に訳したところでそのニュアンスがいかほど伝わるというのか。
キリスト教文学の最高峰との呼び声が高いが、数年前に流行った「聖なる予言」「第十の予言」と同じく、非キリスト者にとってはどうでもいい神学論争につき合わされるのは苦痛以外の何物でもなかった。

全体を通して、当時の社会情勢に精通していなければ、この作品を充分に理解することは不可能である。
ダンテの個人的怨恨によって実在の人物が地獄に落とされたり、天国の住人とされたりしているのだが、その種の事情も注釈を読まなければ理解できず、迂遠な作業が必要であった。

興味をひかなかった場所がないでもない。
「神曲」は地獄編、煉獄編、天国編の三篇によって構成されていて、中でも地獄編は興味をそそられた。
なんとマホメットが地獄の第八層で身体を裂かれる刑に処せられている描写があった。
他にも回教徒がさんざん貶められ、十字軍を賛美する描写が各所に登場する。
こんなもんが翻訳されて古典としてあがめられているのに、たかだが諷刺画ごときでガタガタ抜かすイスラム教徒達はあきらかに問題意識がずれている。

作品の構成としてはヴェルギリウスによって遍歴に導かれるあたり、「ファウスト」と酷似しているが、そちらのほうが、より普遍的(キリスト教に縛られない)な魂の昇華が描かれているように思う。
「ファウスト」は個人的にも大傑作。

「久遠の恋人」ベアトリーチェの存在は神々しかったが、「結局、てめえの片思いを物語の中で成就させたかっただけなのか…」という想いが読後感としてもっとも強かった。
我ながら俗物である。

しかし、この作品ほど後世の文学、映画、マンガ、ゲーム、音楽に影響を与えた作品もなかなか存在しないが、今日的必然性と今日的教養に生きる身で作品世界に没入し、共感するには距離がありすぎる……。

たしかに教養として摂取してしかるべき作品ではあると思う。
それは宗教文学、世界文学の古典として、反イスラムの古典として、西洋文化の雛形のひとつとして。
でも、トリビア的な知識として仕入れればいいような気がした。
原典読む必要はなかったかも……。

とにかく疲れた。


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[ 2006/05/26 ] 古典・純文学 | TB(0) | CM(-)
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