2010年11月 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

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『セブンデイズ』(橘紅緒 宝井理人)

[ 2010/11/26 ]

ボーイズラブマンガ。
幸か不幸か私は男性であるので、ボーイズラブ(以下BL)ものに手を出しことはなかった。

BLという呼称が使われだしたのは90年代半ばあたりからだそうだが、それ以前にあった、少女マンガで同性愛を扱った作品はそれなりに数をこなしている。
そういった作品、わけても萩尾望都(『トーマの心臓』とか『残酷な神が支配する』とか)なんかは同性愛だから、というよりも、形而上学的、観念的な愛のありようをどうにか物語に落とし込もうとした作品、という印象が強く、それはそれで、読み応えがあった。

ただ、少女マンガに関しては教養として必要だよな、という意識で読んだものばかりなので、少女マンガ読者以外にも浸透した少女マンガしか、基本的には読んでいない。
なので、80年代以降、同性愛を扱った少女マンガがどうなったのか、という歴史的経緯は知らないでいるうちに、いつのまにか、BLというジャンルが無視できない存在になっていた。
少女マンガの中で収まっている分にはまだ男性読者が一定数いたのだろうけど、スタイルとして、ジャンルとして確立してしまった現状では、果たしてどうなんだろうか。

大きめの本屋に行くと、決して足を踏み入れられない領域がいつの間にかできていた。
それは少女マンガコーナーでも、エロ本コーナーでもなく、BLコーナーだった。
マーケットとしては、もはやSMとかSFとかよりもずっと大きな存在になっている。
SFコーナーの扱いなんてひどいものだ・・・。
ところがジャンルとして、かように成熟を見せているにも関わらず、なぜかマーケットの外側にいる人間には、ジャンルを超えて名作、と呼ばれるような作品が伝わってこない。
アニメであれば『新世紀エヴァンゲリオン』は当時、アニメを見ない人にまで広がったし、ラノベであれば、『涼宮ハルヒ』シリーズやら『十二国記』なんかはラノベ読者以外にも広まっただろうし、少女小説であれば『マリア様がみてる』は男性読者も読むようになったし、ギャルゲであれば『月姫』や『ひぐらしのなく頃に』がそうだったし…というように、閉鎖された環境の中でのマイナーヒットだったはずの作品がジャンルを飛び越えてヒットする、という現象に、BLはまだ出会っていない。
昔の少女マンガだって、男性読者に「発見」されて評価が高まった、ということもあるのだから、BLにもそれがあってもよいはずなのだが・・・。
ただ、「BL読んでます」と言うことは、「少女マンガ読んでます」と言うことよりも、言い訳はきかないよなあ。

なので、関心がありつつも下手を引きたくない身としては、なかなかこのジャンルに足を踏み入れることが出来なかった。
知り合いの腐女子にオススメを聞いても、「好きじゃない人が読んでもしょうがない」と断られることが多かったのだが、それでも無理して聞き出すと、この作品を挙げてくれた。
この作品が「腐女子一般」にとってどれだけメジャーな作品なのか、あるいはどう評価されているのかすらわからない。
ただ知り合いの腐女子が薦めてくれたから、というだけで読んだ。


高校の部活の先輩後輩同士の愛の芽生えを描いている。
どちらも恋愛エリートであり、過去に何人も女子と付き合い、袖にしてきた猛者なのだが、しっくりくる恋愛にはならなかった。
ふとした間違いで試しに付き合ってみたら・・・というおそらく、王道な展開。

そのありえない設定と導入部を受け入れるのに、かなり葛藤があった。
おそらく、宝塚のミュージカル展開に感じた拒否感と通じるものがある。
それでもページをめくっていたら、嫌でもストーリーの本質のようなものが見えてくるし、その本質に意味を見いだせたあたりからは、わりと面白く読むことができた。

ここには(ある種の傾向を持った女性から見て)美しい様式の恋愛と、実現困難な抽象的恋愛の歪つなヴァリエーションがあった。
普通の男女の恋愛にはないはずのものがあり、かつての少女マンガで同性愛を成立させるために必要だった面倒なシチュエーションがない。
ここには、恋愛、というよりも「理解しあう」ということのおそらく「彼女たち」にとっての究極の形のようなものがあるのだろうな、という想像をおぼろげながら抱いた。
「心が理解しあうこと」を描くための手段として、男性同性愛を描く、というのならわからないでもない。
現実の実態はおいといて。

すべてのBLものがそうであるとも限らないし、たまたまこの作品が「心が理解し合う」ということをうまく書けていただけなのかもしれない。
あるいは私が強引に思い込もうとしているだけなのかもしれない。
それでも、何かしら機会があれば、もう少し彼女たちが求めていることの本質を知ってみたいとは思う。
精神的に耐えられるかわからないけれども、BL小説にも挑んでみたい。
何かがあるような予感がするんだよなあ。


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[ 2010/11/26 ] マンガ | TB(0) | CM(-)

『健全なる精神』(呉智英)

[ 2010/11/25 ]
2001~2007年に新聞や雑誌で執筆された時評を集めた評論集。
刊行自体は2007年。

学生時代、呉智英の著作を貪るように読んで、その私塾にも通い、かなり影響を受けたものだったけれど、この5,6年ほどは著作を買うこともなく、また著作を読み返すこともほとんどなかったので久しぶりのことだ。

毎回のごとく繰り返される「すべからく」の誤用指摘と、「支那」呼称の正当性の話題はもはや微笑ましささえ感じたが、内容全体としても、それほど新味に感じるところはなかった。
それでも好きなので、面白く読むことはできたが。

この人は過去に「人権思想・民主主義の相対化」「封建主義の提唱」「学術的マンガ批評確立の地ならし」という重要な業績をあげているので、すでに歴史的役割は終えていると思う。
だから、これから先それほど重要な著作を発表しなかったとしても、その価値が下がることもないのだけれども、アカデミックな場所ではいまだに色物扱いされていることに変わりはない。
政治学や思想史において、彼の名前が語られる日が来ることはあるのだろうか。
そういう意味ではまだまだ現役でいてほしいところなのだけれど、本人にそういう気概がない以上、時代の転換がなされない限り、注目度が増す、ということもないのだろう。


で、本書の内容だが、繰り言が多いとは言っても、彼の視点の貴重さは他に類のないものなので、その貴重な視点から浮かび上がってくる現代社会の様々な事象の歪みを確認していく作業は単純に面白かった。
そうは言えども、今までの自説の補強以上の知見を本書で見ることはできなかったが、存在をアピールし続けることで、民主主義の弱点、欺瞞、限界といったものを確認するきっかけにはなる。
これは大きな事だと思う。
生きてれば、何が起こるかわからないもんなあ。


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[ 2010/11/25 ] 書籍 | TB(0) | CM(-)

『ミネルヴァと智慧の樹 始源』(浅生楽)

[ 2010/11/22 ]

文学ファンタジーラノベ。
ファンタジー文学ではなく、文学ファンタジー。

どうやらシリーズ物らしいので、これから先、どのように話が転がっていくのかなんとも言いようがないのだけれども、1巻読んだ限りではドイツ文学の金字塔『ファウスト』を下敷きにして、時空改変をしながら現代日本の青年と不思議な少女が成長していく物語、のようだ。
ラノベで文学、というと『文学少女』シリーズというのがあるが、あれは様々な作家、作品を取り上げているけれども、これは『ファウスト』のみになりそうだ。

ヨーロッパ史、哲学、心理学、錬金術、落語、萌えなどに対するフェチズムが集約された知的エンターテインメントであり、難解(というよりも単純に説明下手)ではあるがオリジナリティに富んだ論理構成、豊富な暗喩が光る作品。
これを読みたがる人って『ファウスト』を読んだことがある人か、絵が気に入った人くらいだろうが、個人的に『ファウスト』が非常に好きなので、情報を仕入れてすぐに買った。
オタクネタ(マーケットに配慮して無理くりってのが見え見えだが…)に限らず、人文科学ネタ満載なので、ネタを知っていると笑えたり、知的興奮が増進したりする、はずなのだが、なぜだろう、笑えないし、知的興奮が増したりもしない。

オタクネタの8割方はわかるし、人文ネタもほぼわかるのだが、それをひとつの作品内でやってもうまいこと噛み合っていないような気がする。
まあ、『文学少女』シリーズもそういう印象があったにもかかわらず、人気シリーズになっていて今度映画化もするらしいから、私の印象が世間とずれているだけなのかもしれないけど、やはり「ラノベ」という形式の中で文学をやるのはなんとなしに違和感がある。
そういえば18禁ゲームで、エロゲレビュアーの中では評価の高い『Forest』という作品があって、それは『不思議の国のアリス』や『ナルニア国物語』『指輪物語』『くまのプーさん』といったイギリス児童文学の傑作群を引用した現代ファンタジーなのだが、あれも個人的にはいまいちだった。
古典文学の現実との距離感と、ラノベ、ゲームの現実との距離感が私の中では違うのだろうな、ということしか考えられない。

しかし、ラノベはここのところ大当たりにあたっていない。
『イリヤの空 UFOの夏』を読んだのはもう6年くらい前だが、あれを超える作品が出てこない。
ラノベは物語の最前線だと思うけれども、同じように最前線で戦っているエロゲのほうが商業的な縛りがシビアでない分、駄作も多いが、凄まじい物があふれているような気がする。
出版社の編集者にはもはやまともな目利きがいなくなったのだろうか。

ま、なんにせよ、『ファウスト』ラストで味わったあの恍惚とも言うべき至高体験があるので、この作品がもし続刊するのであれば、追いかけようとは思う。
「時よ止まれ、おまえは美しい」というとき、そこにどんな思いが込められているのか、そこにどんな特異性があるのか、そこにどんな理解があるのか、その理解にどんな価値があるのか。
ゲーテが描いた想いを現代の作家がどのような解釈で提示するのか、興味があるから。


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[ 2010/11/22 ] SF・ライトノベル | TB(0) | CM(-)
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