2011年07月 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

ロックとオタクと思想と政経と社会について思いつきを垂れ流すブログ
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小松左京を継ぐのは誰か

[ 2011/07/31 ]
小松左京氏が亡くなってしまいました。
5年ほど前、映画『日本沈没』がリメイクされ、漫画化もされ(二度目)、パロディ作品の『日本以外全部沈没』も映画化され、『日本沈没・第二部』が谷甲州との共同執筆で刊行され、マスメディアにも大きく取り上げられたあたりが、生前、最後の輝きだったでしょうか。

私が最後に小松左京氏を見たのは、2007年に紀伊国屋ホールで行われたシンポジウムでした。
著名人たちとのパネルディスカッションの最中、小松左京氏が居眠りしているのを見たときは「ああ、ほんとにもうやばいんだな」と思ったものですが、にも関わらず、一旦話しだすと高度に知的でユーモアに富んだエピソードが次々と出てきて驚かされたのを覚えています。
ファンになったのは15年ほど前で、その時にはもう現役の作家活動はしていませんでしたね。
後追いで知れば知るほど、偉大な人物であるなあ、という感慨を抱かされます。

私はほとんど信者みたいなものですが、それにしても、これほど稀有な人がこれから出てきてくれるだろうか、と考えると厳しい物があります。
物語作家としての実力もSF作家としての実力も抜きん出ていますが、彼に匹敵するくらい面白い小説を書く人はわりといます。
ただ、これは唐沢俊一も少し言っていたことですが、「文化人」として小松左京に匹敵する人というのはこの20年くらいいなかったし、今も見当たりません。
宮崎哲弥とか、池上彰とか、苫米地英人とか、立花隆とか、何でも知ってそうな顔してマスコミに出てくる人もいくらでもいますが、小松左京ほどのスケールのでかさや余裕は感じないです。
彼らの活動はそれはそれとして敬意を払っているし、好意を持って見ているのですが、すぐれた現状分析ができるかどうか、直近の未来はどうなるのか、というところに終始していて、文明論的な未来像を自在に語る、ということはしてくれないんですね。
今はそういう教養には需要がないのかもしれませんが、前者の場合、発想が現実的な分、やや物足りなく感じてしまいます。
小室直樹なんかも凄い人だなーとは思うんだけど、知っている範囲では政治的な思考がメインなので遠未来についての想像力はそれほど感じられません。
小松左京ほどエンターテイナーでもないですしね。
ま、立ち位置が違う、ということなんでしょう。

小室直樹や宮崎哲弥や池上彰みたいな立ち位置に行く人はいくらでもいるけど、小松左京がかつていた場所に誰もいない、というのは寂しい限りです。
ん~近いのは岡田斗司夫あたりですかね。
政治的、思想的な足かせに囚われずにエンターテイメントで知的な発言ができる、という意味では。
ただ、彼の最近の活動って文明論的なところよりはライフハック(というよりはGTD)の伝道者みたいな印象が強いので、彼は彼で独自の立ち位置にいるのでしょう。

結局は知の方向性、教養の出力方法、という問題に帰結するのですが、そこまで絞り込んで考えると手塚治虫は近い位置にいたのではないかと思います。
知識人としての蓄積では小松左京に軍配が上がると思いますが、その発想には近しいものを感じずにいられません。
世代も同じですし、関西出身であること、ジャンルの開拓者であること、ストーリー作家としてのフィールドの広さ、未来やカタストロフィを描こうとする意思など、共通点は多いです。
個人的な印象ですけどね。

高度経済成長期ほど未来に対して希望を抱けなくなってしまった現在の日本において、もう小松左京的な知性に対する需要はひょっとしたら少ないのかもしれません。
でも、彼の本を開けば、他では読めない「知性の可能性」に触れることが出来ます。
そして、時を経ても驚くほど色褪せない知的興奮に出会うことが出来ます。
末永くその著書が残ることを祈ると共に、未来を語る知性の出現を期待したいです。

関連:小松左京『虚無回廊』

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[ 2011/07/31 ] 文化 | TB(1) | CM(-)

「かっこよさ」が進化しない

[ 2011/07/27 ]
この15年ほど、女の子の顔があまり変化しなくなりました。
90年代前半くらいまで、女性のメイクやヘアスタイルのスタンダードは、着実に変化を重ねてきたように思いますが、それ以降はどうも停滞(安定といったほうがいいのかな?)しているように見えます。

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1965年の吉永小百合

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1975年の山口百恵

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1985年の中森明菜

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1990年のCOCO

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1995年の井上晴美

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2005年のアイドル

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2011年のアイドル

今、6.70年代のメイクをしている人はまずアイドルとしては存在し得ないですね。
80年代のヘアスタイルもいないです。
90年代初期は太眉ブームとかで眉の太いアイドルがゴロゴロいました。
95年の画像はほんの5年前のCOCOの画像と比べても、今に近いのではないかと思います。
女性の美しさは、そのバリエーションは様々に増えたとしても、「スタンダード」自体は90年代半ばからあまり変化していません。

90年代半ばといえば世はコギャルブームの真っ只中でした。
ルーズソックスが爆発的に流行し、茶髪やピアスが不良ではない普通の高校生に浸透していったのもこの頃です。
ガングロとか援助交際とかも一部の先鋭化した女子高生がやってて、話題になりましたね。
とにかく女子高生が時代の中心で、女子高生がブームをつくるってんでマスコミはこぞって女子高生の生態を取り上げていました。
Windows95が発売されてパソコンが本格的に普及し始めたのも、阪神大震災、オウム事件が起こったのも、『新世紀エヴァンゲリオン』の放送も、プレイステーションの発売も、この頃です。
「萌え文化」というか、美少女ゲームを爆発的に認知させた『ときめきメモリアル』がリリースされたのは94年で、プレステに移植され、大ヒットしたのは95年。
私は、どうもこの頃が時代の分水嶺だったのではないか、と考えています。
もう少し前の、共産圏崩壊、バブル崩壊も大きな断層といえばそうなのですが、こと人間の美的センス、かっこいい基準はこの頃を最後に、大きな変化を遂げていないのではないか。

90年代半ばまではヤンキーマンガ、不良漫画というのがどの少年誌にも掲載されていて、かなり人気がありました。
『ろくでなしブルース』とか『BOY』、初期の『スラムダンク』、『特攻の拓』、『カメレオン』、『湘南純愛組』、『今日から俺は』、『クローズ』などなど、多くの作品が平行して長期連載されていましたが、現在、人々の支持を得ている少年誌のヤンキー漫画は『ワースト』、『クローバー』くらいでしょうか。
マンガ一般に視野を広げても知名度的には『なにわ友あれ』、『バレーボーイズ』くらいしか思いつきません。
ヤンキーとか、不良に対して「かっこいい」と思う人が少なくなってきたのでしょう。

それからロックが21世紀になってから終わってしまっている、という話は以前のエントリーで書きました。

今も渋谷は多くの人が集まる魅力的な街ですが、90年代半ば頃の渋谷は今とは異なる趣がありました。
とにかくファッションの街、ということで、洋服屋が異常に多かった。
大手から零細まで様々なレコードショップが乱立し、渋谷独自の売り上げランキングがつくられ、渋谷系なるジャンルが生まれ、それが時代をリードするものとしてとらえられていました。
クラブ(踊る方の)やミニシアター、プリクラ満載のゲーセンと、遊ぶスポットにも困りませんでした。
渋谷系はともかくとして、他の要素は今も健在なのですが、それでも流行の発信地、というイメージはかなり薄くなってしまいました。
当時、テレビの街頭インタビューでは渋谷の女子高生の意見を聴いてみる、という場面がよく見られました。
今も昔も新橋のサラリーマン、丸の内のOLにインタビューしたりしていますが、今は渋谷に代わって、秋葉原の街頭インタビューが増えました。
メイドが頻繁にインタビューされていますね。

秋葉原がファッションの発信地になる、ということはまずありえないのですが、文化の発信地としての役割はたしかに果たしているでしょう。
様々なフィクションに秋葉原はその舞台として登場し、『アキバブログ』『アキバ総研』などの秋葉原の街情報を発信するサイトも多くの注目を集めています。
今、渋谷や原宿の街情報を発信するサイトはそれほど注目を集めていませんが、秋葉原からはオタク向け、のみならず一般人から見ても無関心ではいられない面白いものが生まれているのだと思います。


この15年、技術やインフラ、娯楽、政治や国際情勢は様々に変化してきました。
でも、かっこいいもの、美しいもののスタンダードはほとんど変化していない。
今だってオシャレが好きな人はたくさんいるし、オシャレに無関心な人のほうが少ないでしょう。
ところが、渋谷的なもの、ヤンキー的なもの、ロック的なものが停滞したのと機を同じくして、人々のセンスは停滞してしまった。
今も渋谷には人が多いし、ヤンキーな格好している人もいるし、ロックやっている人もいますが、90年代半ば以前の人たちに比べて、新しい文化や新しいセンスを生み出せなくなっている。
萌えオタな人たちは次々と新しい文化を生み出すけれども、新しいセンスを生み出すことができない。

こういう状況はまだ続きそうな気がします。
あと10年くらいは人々のファッションやメイクに大きな変化はないのではないか、と。
素材の技術革新があればまた別なのかもしれませんが、不良の皆さんに頑張ってもらわないことには、私たちは新しい美的センスを身につけることができないのかもしれません。

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[ 2011/07/27 ] 文化 | TB(0) | CM(-)

日本の世論の集約装置

[ 2011/07/27 ]
インターネットが普及する以前、マスコミが世論の代表のような顔をしていましたが、そうはいってもそのマスコミが世論操作をしていることは、ある程度教養のある人は誰でも知っていました。
たとえば街頭の街角インタビューでそこら辺を歩いている人が言っているようなことってかなり編集が入っていて、放送局に都合のよい、あるいは放送局が伝えたいことを言っている人しか、画面には出さないようになっていました。
新聞なんかの世論調査では、質問の設定が恣意的、誘導的に作成されていたり、あらかじめ用意された選択肢からしか回答を選べなかったり、政治問題ばかりとりあげられたり、と人々の生の声をダイレクトに伝える、という機能はなかった。
雑誌なんかもそうですね。
基本的には雑誌のコンセプトから外れた発言は誌面から排除されていました。

ところがネットが始まると、人々は初めて、編集者の思惑とはまったく関係のない様々な他人の生の発言に触れることができるようになった。
黎明期のネット文化は個人ホームページと匿名掲示板(2000年以降は2ちゃんねる)が主に情報の発信源でした。
個人HPはともかく、この匿名掲示板という奴がまさに便所の落書きで、罵詈雑言が飛び交う殺伐とした雰囲気の空間でした。
というか今でもそうですが。
当時の2ちゃんねるはアスキーアートやフラッシュなどの文化を生んだという点だけでも興味深い存在でしたが、一方でバスジャック事件や殺人予告、テロ予告などの犯罪の温床にもなっており、訴訟沙汰やサーバーダウンなどのトラブルも多く、長くは続かないだろう、と思われていました。
ですが、2011年の現在も揺らぐことなく存在し続けています。
ネット黎明期のサービスがいまだに強い影響力を持っている、というのはすごいことです。
mixiやニコニコ動画、ツイッターなんかに人が流れているとは言われているものの、現在もその利用者数は1000万人を超える、と言われています。

歴史の古さと利用者数の多さから、ともすると2ちゃんねるは世論の集約装置のような役割を果たしていますが、それがスタンダードになってしまっている、という現状はまずいのではないか、という懸念を抱いてしまいます。

香山リカ 「原発問題で騒いでるのは適応障害のニートや引きこもり」

香山リカの発言の是非はともかくとして、すでに著名人が2ちゃんねるの書き込みを分析して、大手マスコミで発言をする、というケースは珍しいものではありません。
また、2ちゃんねる自体はそれほど見ていなくても2ちゃんねるのまとめブログを利用している、と言う人もかなりの数にのぼっており、痛いニュースやらおんなどの大手サイトは一日数百万PVという、にわかには信じがたいほどの数字をあげています。

現象として見るならば、2ちゃんねるの世論の集約装置としての機能は疑いがないようにみえます。
しかし、たとえばmixiやツイッター、ニコニコ動画のアカウント数も1000万を超えており、そこには様々な書き込みがなされてるのにも関わらず、これらのサイトのユーザーの書き込みは世論の集約装置としての機能を果たしていない。

最近、Xの元メンバーtaijiが自殺しましたが、この事件に対する反応は2ちゃんねるでは哀悼の書き込みもいくつかありましたが、死者に鞭打つものや、Xの音楽性を散々にけなすものなど、ネガティブな書き込みのほうが多数を占めていました。
ところが、mixiで日記検索して反応を見て見ると、おおむね、その死を悼むものが多かった。
ツイッターも同様でした。
そして、2ちゃんねると同じく匿名でコメントできるニコニコ動画でもその死を悼むものが多かった。

2ちゃんねるはかなり偏った言論空間で、ここで語られる言説の多くはネガティブな感情に根ざしたものが多いです。
他人を見下して嘲笑することに喜びを見出している書き込みが非常に多いし(書き込みしている人間が実社会ではどういう人格であるかはともかくとして)、またそういう書き込みでなければ、2ちゃんねるでは支持を得られなかったりする。
他のサービスではそんなこともないのですが、2ちゃんねるはすでにスタンダードになってしまっており、新しいサービスが出てきても、なかなかそこで醸成される世論に注目が集まらない。

こういう言論空間が日本の世論の集約装置として機能し続けるのは非常にまずいと思うのですが、mixiやツイッター、ニコニコ動画ですら、その機能を代替できない、というのは何か絶望的なものを感じてしまいますね。

関連記事:2ちゃんねるは永遠(ブログ運営のためのブログ運営)

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[ 2011/07/27 ] 考察 | TB(0) | CM(-)
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