2013年10月 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

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時代にレッテルを貼って処世術を説くことが知識人の仕事

[ 2013/10/31 ]
端緒は浅田彰あたりなんでしょうかね。

「ポストモダン」という言葉が一般化したのは、彼が『構造と力』でニューアカデミズムの旗手として鮮烈にデビューしたあたりからなのかな、という印象があります。
元々はフランス現代思想の流れの中で出てきたキーワードだけど、それが日本に根づいたのはニューアカブームを無視しては語れないでしょう。
現代社会はポストモダンである、と。
所詮は後追いなので、当時の雰囲気がどういうものだったか、私が知るよしもありませんが。
多分、完全に理解して使用としている人ってそんなにいないと思うけど、なんとなく「ポストモダン」と言ってみると時代を的確に捉えているような幻想を抱くことができるようです。
それに続く『逃走論』ではそうした状況から読者に「逃げろや逃げろ」と煽っていたんだけど、逃げた先にあるのも現代社会です。

大月隆寛は「80年代はスカだった」と喝破して、一部で反響を呼んだのですが、少なくとも日本の文化に限って言えば、70年代に発生した文化よりも80年代に発生した文化のほうが根強く残っています。
ネットでは週刊マガジン、フォークソング、ピンクレディー、山口百恵などよりも、少年ジャンプ、ファミコン、80年代アイドル、バンドブームのが言及される機会が多い。
『巨人の星』より『キン肉マン』です。

宮台真司は現代社会は「終わりなき日常」であると唱え、援交女子高生の生き方を肯定して脚光を浴びたのですが、ブームが過ぎ去ると天皇がどうしたこうしたと言い始めました。
でもって「絶望から出発しよう」などという本を出したのだけれども、要するにどうすれば世の中がよくなるかわからない、ということですよね。

東浩紀は「ポストモダン」が動物化しているとし、データベース消費が云々と言っていたけれども、多分、真に受けている人はあまりいないでしょう。
最近は「民主主義2.0」「一般意志2.0」というキーワードでネット時代の民主主義のあり方を説いているけど、それが実現した先にどのような幸福があるか、具体的なものは何一つ提示できていません。

岡田斗司夫はこれからは「評価経済社会」である、と打ち出したんだけど、だからといってそれで人々が幸せになるかというと、そんなことは説いていません。

ゼロ年代と言い出したのは誰か知りませんが、宇野常寛と東浩紀周辺あたりでしょう。なんで零(れい)年代とか2000年代とかじゃなくて英語で言っているのかよくわかりませんが、決断主義が云々だそうだけど、結局「ゼロ年代」という言葉だけが内容のないままにひとり歩きしてしまって、決断主義でどうやって幸せになるんだかよくわかりません。

浅羽通明は現在を「成長しない時代」であるとし、その中で幸せを見つけていかなければならない、と述べていたのだけれども、時代が成長しようがしまいが、生存権が脅かされている状況はどうにかしなければならないわけで、いたずらに今の時代を肯定したところで幸せになれる人は限られたごく一部です。


こういう論壇的な知識人のやることって、物語を読み解くようなノリで現実を語っているだけなんじゃないか、という気がしてならないんですよね。
現実世界は物語ではないので、アニメやマンガを読み解くノリで語られても大衆を惑わすだけです。
その時代の価値観の要約、分析という意味では優れた能力を持っている人たちなのかもしれないけど、時代を切り拓く方法論、打開策を見つけられないからといって、適当な解釈で時代にレッテルを貼るのはいかがなものかな、と最近思うようになりました。
所詮、価値観などというものは時代状況や制度によって形成され、変転するものです。
状況が変われば価値観も変わる。
そういう適当で曖昧な価値観に共感しても世の中よくなりゃしないです。
価値観の要約だけしていれば、多くの人の共感を得ることはできるかもしれないけど、歪んだ状況、歪んだ制度のもとで育まれた価値観の枠内で世の中にレッテルを貼ってもそれで我々の生活が向上するわけではない。
我々の価値観や生活が変わるためにはどのような「制度」や「状況」が必要なのか、というアイデアを打ち出すことこそ知識人の役割だろうと思うんだけど、あまりそういう人って見かけません。

逃げろとか、データベースで消費しろとか、終わりなき日常を生きろとか、成長しない時代でボチボチ生きていきましょうとか、決断しなければならないとか、思想家が思想(イデオロギー)を語らず、処世術を語るようになったのも「価値観の変化」ではありますが、肝心の思想家・言論人の人たちはどこまでそれを自覚的にやっているんでしょうかね。
ただ、閉塞感を助長するだけの言説や、現実を無視して読者の人生を肯定する言説を繰り返すだけじゃなくて、世の中をマシなものにする「方法論」と、その「方法論の先にある人々の幸福」をもう少し真摯に考えてもいいんじゃないですかね。

関連記事:『礼記』『お召し』『ソードアート・オンライン』から考える極楽浄土としてのネット空間

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[ 2013/10/31 ] 考察 | TB(0) | CM(-)

はてなブックマークという権力、権利

[ 2013/10/29 ]
いくつかヒット記事を書けたのでブログの歴史を更新しました。

「異常な日々の異常な雑記」のあゆみ

それから、BLOGOSの編集部から記事を転載させてほしい、という依頼がきたので、とりあえずOKしてみました。
今後、うちの記事からめぼしいものがあれば、より広く、いろんな人に読んでもらえる、ということでしょうかね。
どのくらい反響があるかよくわかりませんが、少子化対策の記事をぜひ取り上げて欲しいものです。


…って報告更新だけじゃあまりにもなので、も少しなんか書きましょう。

ここのところは政経ネタを書くと大体少子化問題について言及するのが常なのですが、相変わらず、政策課題としては下位に置かれ、著名な言論人や政治家が少子化問題を優先順位の上位に持ってきて発言するということはないです。
この問題については政治の選択肢として事実上、閉ざされているに近い。
福祉の延長でなくて投資と考えて少子化対策を主張しているのって日本中で私だけなんじゃないかと考えると、ちょっと前途遼遠すぎて挫けそうになりますね。
世の中で政治的な発言をしている殆どの人は少子化問題を「前提化」してしまって、それを解決しようとするんじゃなくて、少子化した社会の中でどうにかしようという発想しかなくなっている。
まあ、今更対策したっていきなり出生率2.0になる、なんてことはありえないので、少子化を想定した政策もたしかに大事なんだけど、でもその前提を覆すような政策も必要なはずなのに、全然、政治日程にあがってこない。
消費増税もそうなんだけど、消費税を払える日本人が減っていっているのに、消費税だけ先行しても行き詰まるのは目に見えているのにね。
財政が厳しくなっているのも、景気が悪いのも、格差が拡大しているのも、突き詰めて考えていけば、すべてその根っこにあるのは少子化であり、ワークライフバランスの「崩壊」である、というのは目に見えているでしょう。

日本人の多くは高度経済成長期の成功体験を引きずったまま、その価値観の枠内でしか政策論議ができなくなっている、ということなのだと思います。
五輪や国土強靭化や東北復興で景気がよくなりはしません。


ところで、インフレターゲット論が氾濫して、ここまで猫も杓子も景気や経済、政治について語ると「デフレ脱却こそ正義」みたいな感じになったのはここ3,4年くらいだと思います。
日本の不況はかれこれ20年続いているわけですが、その間、特にデフレ脱却、というキャッチフレーズがここまで支配的になったことはなかったように思います。リーマン・ショック後ですね。
デフレ脱却、と言い出したのは浜田宏一、高橋洋一、山形浩生、三橋貴明、上念司らの経済学者、経済評論家筋で、更に知名度の高い宮崎哲弥がそれを更に一般化させたかな、という印象があります。
政治家、官僚が提示した政策ではなく、わりと在野の言論人からの主張が政策としてストレートに実施された例として、この「デフレ脱却」はわりと珍しいんじゃないかな、と。
デフレを脱却したからといって不況から脱却できるかどうかは定かではありませんが、ただ、政策論として、政治家や官僚が提示したものにイエスかノーかという意思表示をするだけではなくて、そうでないルートから世論として政策論が実際の政治日程に上げることもできるのだ、という道筋みたいなのは見えたかな、という気がします。
知識人が何人か束になれば、政策を政治日程にあげることができる、という希望として私には映りました。

というわけで景気対策としての少子化対策、という「政策」もそんな感じで政治日程にあげたいところなので、少子化対策に問題意識を抱えている人は少子化対策の記事を見かけたら、どんどん拡散していきましょう。
ツイッター、はてブ、フェイスブックなどなどで。
ブログランキングはあまりあてにならないです。2年ほどブログを運営していますが、ブログランキングからの流入はほんとに微々たるものです。
あと、自分のブログをお持ちの方はブログでどんどん少子化対策の記事を書いてほしい。
「少子化困ったねえ」と言っているだけでは少子化が止まることはありませんから。

当ブログの渾身の少子化対策記事

日本を救う方法を考えたので、みんなの力と知恵を貸してほしい

特にはてブですね。
ネットユーザーとして、誰でも影響力を行使することができるのは「はてなブックマーク」だけです。
フォロワー100人程度のツイアカやFBアカの人が拡散してもたいして大きな広がりを見せることはありませんが、はてブなら、フォロワー0人でも三人が同じ記事にはてブすればとりあえずはてなの新着エントリに登場して、そこから多くの人の目に触れることができるようになります。
はてブユーザーはそれだけで「権力者」であるといっても過言ではありません。
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逆に言えば、はてブのアカウントを持っていない人はこのネット空間において有象無象でしかない。

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[ 2013/10/29 ] 少子化 | TB(0) | CM(-)

タレントが世代交代してもテレビは面白くならないよなあ

[ 2013/10/27 ]
タモリが一線を退き、みのもんたが去っていく。
転機は島田紳助の引退あたりからだろうか。
三国志で関羽が倒れた後、曹操、呂蒙、張飛、黄忠、劉備と巨星が次々と死んでいったのを思い起こさせる。
こういうのって一気に訪れるものなのかな。
昭和天皇が崩御した時も、それと前後して石原裕次郎、手塚治虫、美空ひばり、松田優作などの巨星が世の中を去っていった。
この流れで和田アキ子や久本雅美あたりも一線を退いてくれると嬉しいのだが。

このまま一気に世代交代が進めば面白いな、とは思うけど、交代する世代も所詮は、テレビ文化の中で育ってきた人たちばかりだから、予定調和的な面白さ以上のものを提供できる人はいないだろう。
それにMCだけの問題じゃなくて番組作りそのものがつまらなくなっているからどうにもならない。

ただ、何がどう転んだってテレビがネットより面白くなる、ということはないだろうけど、面白いものはいくらあってもいいから、テレビも面白くあってほしいとは思う。
まだ、テレビ業界の中の人ってテレビが娯楽の主流だった時期の考えから脱却できない人が多数だと思うけど、娯楽の主流でなくなっても、テレビにはテレビの役割があるだろうし、真摯に面白さを追求してくれればいいのになあ、と思ってみたり。


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[ 2013/10/27 ] 芸能 | TB(0) | CM(-)
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