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フィクションの限界、物差しとしての道徳

[ 2012/10/16 ]
フィクションの限界、というか暗黙のルールは道徳を守らなければならない、ということです。


日本人はモラルが高い、などと言われたりするけれども、この過酷な現実世界では道徳的でない人々などいくらでも見かけるし、私自身に関しても、時に道徳を逸脱する行為を働いてしまいます。ごめんなさい。
基本的に普通の人間は道徳的な時もあれば非道徳的な時もある、そういうものではないでしょうか。
特にブラックな企業で働いていたら、違法行為もさることながら人間性を蹂躙するような不道徳な行為に身を染めなければ生き残れない、というような場面には頻繁に出くわしますし、いじめやハラスメントを見て見ぬふりしなければ自分がその脅威にさらされたりするのが世の中です。
でも、フィクションの中ではそういう日常的な不道徳行為は描かれないし、描かれた場合は解決すべき問題として登場し、最終的には解決されるか、物語の後景としてアウトフォーカスしてしまいます。

私たちは一人ひとりが己の人生において主人公ですが、主人公が非道徳的であっても許されるフィクションなどほとんど存在しません。

あるいは、悪漢小説、ピカレスクロマンというジャンル。
最近の例で言うなら『デスノート』、『コードギアス 反逆のルルーシュ』あたりが代表的ですが、主人公であろうと基本的に無辜の人間を殺めるような人間には大体作者の天誅が下って、死ぬか発狂させられることになります。

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)コードギアス COLLECTION コードギアス反逆のルルーシュ DVD-BOX


ヤクザ映画やヤンキーマンガの世界だと、カタギの人間は後景に下がっていて物語の主要な役回りを演じることはなくて、たいがい、ヤクザ、不良同士の抗争に終始しています。
でもって、カタギの人間を殺めるような主人公は存在しないし、主人公側の登場人物は彼らなりの"道徳"を貫くことを重視した展開が描かれます。
(もちろん、私の未見作品の中にとんでもない不道徳作品がないとは言い切れませんが)

パルプ・フィクション [DVD]疾風伝説 特攻の拓 外伝 ~Early Day’s~(1) (ヤングマガジンコミックス)

さらに官能小説やエロマンガ、エロゲーの深部にいくと、かなりヤバイ描写の作品があったりしますが、どんな陵辱シーンがあったにしても、最終的には「そういう関係」であることを当事者間の合意事項にしてしまうか、あるいは被害者視点からの物語、心理描写に終始し、陵辱する側は敵として描かれます。
…たまにそうじゃないのがあるから侮れないんだけど。

ところが、実際の世の中には法律に裁かれないシリアルキラーやサイコパスはいるし、ヤクザや暴走族の世界は『殺し屋1』よりもえげつないことが平然と行われているし、レイプ犯や輪姦の参加者も裁かれずにすんでいる輩はいくらでもいるけど、彼らはそれぞれの人生の主人公です。

大抵のフィクションではそういうアコギな連中はまず主役になることはできませんし、むしろ無様なやられ役としてのポジションに落ち着くことで我々は溜飲を下げています。
普段、我々が不道徳な行いに身を染めていたとしても、なんだかんだ言って、フィクションの主人公には道徳的な振る舞いを求めてしまうし、勧善懲悪は不動の人気を得ています。

しかし、そうした約束事、暗黙のルールを踏み出しかける作品が時々現れて物議を醸すケースがあります。
たとえば『時計じかけのオレンジ』。
あの作品で主人公はレイプと殺人を犯し、一度は更正のための精神治療で人間性を破壊されるわけだけれども、最終的には元の残虐な人間性を取り戻しています。
その描写は極めてシニカルであるために、完全に道徳の外側にはみ出したとは言えないと思いますが、当時のイギリスでは公開中止になり、作品の影響を受けた暴力事件が多発し、政治家の暗殺未遂事件を起こした人間にも影響を与えたと言われています。

時計じかけのオレンジ [DVD]

馬鹿が見たら困る映画だけど、でも『時計じかけのオレンジ』は傑作です。
日本のマンガで言うと、象徴的なのは『ザ・ワールド・イズ・マイン』や『デビルマン』あたりで、やはり道徳を試すようなその描写が評価されて、傑作として語り継がれています。
あるいは『タクティクスオウガ』Lルートで主人公が同胞の虐殺を指揮するシーンは多くの人にトラウマを残しました。

タクティクスオウガ 運命の輪(特典なし)

基本的に道徳の外側への踏み出し方が上手な作品にはエポックメイキングな傑作が多いです。
もちろん、下手くそだったりすると単純に非難を呼ぶことになるわけですが。
ぱっと思いつく例で言えば『Fate/stay night』の桜ルート。
これも傑作であるには違いないんだけど…。
詳しく話すとネタバレになりますが、ヒロインたる間桐桜が暴走した際のえげつなさと憑き物が落ちた後の脳天気な幸せっぷりの描写の落差に、当時のエロゲ板で凄まじい議論が沸き起こったのを覚えています。
しょせんはエロゲファン内部の狭いコップの中の争いにすぎないし、影響を受けてどうこうする人間が現れるという類の描写でもないのでそれ以上の問題にはならないわけですが、その後のキャラクター人気投票でヒロインであるにも関わらず、男性キャラやサブヒロインキャラよりも下位に甘んじる結果となりました。
非処女だったから、という理由を挙げる人もいましたが、前作『月姫』翡翠ルートにおける琥珀(人気投票で2位)の例と対照させて考えると処女論争とは異なる理由を考えなければならないでしょう。

Fate/stay night (Realta Nua) -Heaven's Feel- [ダウンロード]

道徳の外側へ踏み出す行為が作品の質を高めるようなものでなければ、支持を得ることはできない、と。


道徳というのは、辞書的な定義をすると「内在的な規範」ということになります。
「外在的な規範」であるところの法律と対になっている概念であったりもするわけですが、その内実を明文化できる類のものでもないし、何が道徳的であるのか、というのは時代や社会によって異なるし、個人差もあったりします。
でも、私たちは意外にその道徳の縛りから自由でいられることができないんですよね。
実際の生活や行動にどれだけ反映させられるかはともかくとして、少なくとも個々人が持っている世界観や価値観を崩すような道徳破壊を「見ると」嫌悪感を抱いてしまう。

たとえば、場合にもよるけど法律を破るような行為を見たってあまり価値観や世界観って揺るがないんですよね。
むしろ爽快感さえ抱くケースが多々ある。
それは戦争ものがそうだと言えるだろうし、復讐譚の人気を考えればわかることで、『モンテ・クリスト伯』でも『水滸伝』の武松のエピソードでも、『忠臣蔵』でも、『スクールデイズ』でも、読者は復讐者の心情に肩入れしながら物語を楽しむことができます。
復讐って復讐「権」という言葉があるように、ある種の正当性が存在するとは思うんだけど、近代法の思想では現行犯を除き、自力救済を禁じているのですが、そういう法律的な発想では復讐を望む「普通の人間の気持ち」を抑えることはできないということかな、と。

つまるところは現象ではなくて内面、動機に関する部分で人は物語に自制を要求し、そのコントロールが下手くそな作品には非難が集中するし、逆に踏み出し方が上手な作品は強烈な印象を刻み付けることができる。
それは物語の完成度を測る物差しにもなっています。

現実の個々の人間がどうであれ、「常に道徳から外れることなく行動する主人公」ばかりの作品が世にあふれているのは、少なくとも我々の多くは道徳的でありたい、という向上心を持っているからであろう、と思います。
それはある意味、人間存在の良い意味での可能性を信じる根拠にもなり得るんじゃないかと。


言葉足らずな気がしないでもないけど、切りがいいのでとりあえずここまで。
次回に続きます。
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