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日本は体育会系ディストピア

[ 2013/03/27 ]
先ごろ最終回を迎えたアニメ『PSYCHO-PASS』と『新世界より』はいずれも素晴らしい出来で、どちらも共通してディストピアを描いた作品でした。

PSYCHO-PASS サイコパス VOL.1【Blu-ray】 「新世界より」 一 [Blu-ray]

ディストピアものとは、ある種のイデオロギーを突き詰めた結果として理念が暴走し、理念を優先するあまり人間性を抑圧するようになった全体主義的管理社会の中で人間性を取り戻すべく奮闘する人々を描いた作品群を指します。

私は結構好きでいろいろ読んでいるんですが、現実社会のシミュレーション、社会システム論、未来の可能性としての思考実験という読み方もできるジャンルです。
このジャンルで古典的名作とされるオーウェルの『1984年』はソ連に代表される共産主義国家への批判が随所にちりばめられていますが、別に共産主義に限った話じゃなくて、被差別部落民の側から江戸時代の階級社会を描いた白土三平『カムイ伝』なんかもディストピアものとしての読み方ができるだろうし、遺伝子の優劣で人間の序列を決めてしまう社会を描いた映画『ガタカ』や徳弘正也『狂四郎2030』なんかも傑作です。
あるいはクイズによって統治される社会を描いた『国民クイズ』あたりも素晴らしい作品だし、意外な所でギャルゲーの『車輪の国、向日葵の少女』ではプラトン的な哲人政治によって統治された社会をディストピアとして描いていました。これまた傑作です。

車輪の国、向日葵の少女の感想(人文科学空間)


1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8) カムイ伝 (1) (小学館文庫) ガタカ [Blu-ray] 車輪の国、向日葵の少女(通常版)

狂四郎2030 全14巻セット (集英社文庫―コミック版) 国民クイズ [ワイド版] (上下セット)

基本的に理念と人間性って対立するものです。
人間って野生のままだと凶暴ですからね。
放っておくと何をやらかすかしれたものではない。
だからある程度の抑圧は必要で、要はそのバランスが理念に寄り過ぎた社会をディストピアと呼ぶわけです。
ある意味で、民主主義社会そのものもディストピアとして定義付けすることもできるかもしれないのですが、民主主義社会の中で生きる我々は中々それを自覚することはできませんし、これまでに描かれてきた数多くのディストピア作品にしたところで、民主主義社会の中で描かれたものだから、ディストピアとして民主主義そのものの歪さを描き出す、という作品は出てこない。
あたかもディストピア社会に生きる人々の多くがその社会がディストピアであることに気づいていないのと同じように、我々もこの社会がディストピアであることに気づいていないのかもしれません。
パラダイムの中にいる人間がパラダイムそのものを疑うことの難しさです。
フィクションとしてのディストピア作品にしたところで、作中のディストピア社会の理念や思想、管理体制に綻びが生じることでその社会の歪さが初めて露呈する、というようなストーリーのものが多いです。

今の日本でも綻びが生じはじめている理念や思想、管理体制ってありますね。
私は体育会系的価値観は日本をディストピア化してきたイデオロギーではないか、と考えています。


昨今は体育会系的価値観への疑義が呈されるような事例が多く報告されています。
学校教育における過剰な体罰は体育会系的価値観そのものですが、桜宮高校の事件はネット上ではかなり非難轟々だったりしたんだけど、その一方でこういうニュースもあって、驚きました。

「体罰、報告するな」父母会役員が保護者に要求 兵庫

体罰は見て見ぬふりしろ、と生徒の親が言っているわけですね。
体罰容認論もわりと根強くて、いかに日本社会を構成する我々の精神に体育会系的価値観が根付いているのか、思い知らされるような事例です。
柔道の女子代表選手団指導におけるパワハラも大きく問題視されているけど、こんなの氷山の一角ですよ。
プロレスや相撲の練習生の扱いなんかもかなりひどかったりするし、それが当然である、という"常識"がまかり通っている。
スポーツって美しいものみたいに考えられているけど、このブログで何度も取り上げているように、その裏では不正、八百長、セクハラ、パワハラが日常茶飯事化している世界です。
無理な練習で、一生ものの障害を負う人もいるでしょう。
でも、オリンピックやプロ競技を観戦する我々はマスコミの美辞麗句に踊らされながら演出された感動に酔いしれている。
それらの不正もそうした感動の代償として看過してしまって、根治すべく徹底的な追求をしてこなかった。

それから社畜的な生き方も体育会系的価値観の延長上にあると言えます。
プライベートの時間がほとんどとれないほどの長時間労働に身を置くことが当然であるかのような考え方が日本社会を覆っている現象は異常という他ないと思うのですが、それに疑義を唱えるようなことを会社で口にしようものなら白い目で見られます。
身を粉にして組織の為、目標達成の為に尽くす、ということが美徳と思われている。
美徳には違いないんだろうけど程度というものがありますよ。
過労死してもおかしくないほど働かなければ生きていけない、そういう社会に順応できなければニートかフリーターか起業という極端な世の中です。

滅私奉公的な価値観のすべてを否定しようとは思わないんですが、そういう傾向があまりにも突出しすぎているのが現代の日本ではないかな、と。
で、そこからドロップアウトした人間は2ちゃんねるなんかですら叩かれてしまうわけですよ。
社会を覆う価値観への疑義を呈す輩はけしからん、と。
まさにディストピア。
まあ、それで抹殺されやしないけどね。

組織を安定的に運営していく、という点で体育会系的価値観は非常に便利なものだけれども、組織の外側の常識に触れた時、その歪つさは際立ちます。
人はなんらかの組織(国家、地域コミュニティ、ネットコミュニティ、会社、学校、家族etc)に属していなければ生きていくのが難しい生き物だとは思いますが、そうして組織が個人の人間性を押しつぶすような事例が多くないか、と。
ネット上ではそうして疑義を唱える声も多いんだけど、この長期不況の現実社会では、個人の力はどんどん弱くなっていく一方で、雇ってくれるだけでありがたい、居場所を与えてくれるだけでありがたい、みたいな感じになっていますからね。
ディストピアであることに気づいたところで、我々にできることは少ないし、どうせ選挙になったらほとんどの人間が自民党にいれるんだろ。
強いアメリカ様にTPPで売国するのも当然、という体育会系的な上下関係に抗えない自民党に投票してさらに苦しんでいくのが日本人です。
私にできることはこうしてブログで書いてガス抜きすることくらいなわけですが、願わくば、こういう考え方を多くの人と共有できたらいいんですけどね。

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