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ロックとオタク文化は本質的な意味では国境を越えられないのか

[ 2013/04/01 ]
例によって姉妹ブログ(人文科学空間)からの転載記事。
多分、元記事はそのうち消します。若干の加筆修正をしてあります。


音楽が大好きなので、洋の東西、ジャンル、年代を問わずにいろいろ聴いている。
もっとも好きなジャンルはロックなのだが、さて、そのロックの歴史と言うのはかれこれ半世紀を越え、世界中に様々な亜種、サブジャンルを作り出し、他のジャンルと混合してきた。
音楽のチャートを見ていると、ポップス、R&B、ヒップホップなんかが上位に入ってきていて、ロックはそれほど主流を占める音楽でもないんだけれど、いずれの音楽もロックの影響を無視して現在を語ることはできない。
だが、ロックはその裾野を広げ、浸透と拡散を続けつつも、依然としてそのメインストリームはイギリスとアメリカだったりする。
オーストラリアやドイツ、北欧、カナダ、はたまた南米なんかからも面白いロックバンドは出てくるのだが、いずれも単発で、世界中を席巻するようなムーヴメント、というのは出てこない。
60年代のサイケデリックもフォークも、70年代のハードロック、プログレッシヴロック、グラム、パンクも、80年代のニュー・ウェイブもメタルも、AORも、ソウル/R&Bも、90年代のグランジも、ブリットポップも、ラウドロックも、その他サブジャンルの多くがアメリカとイギリス発祥で、他の地域からワールドワイドな展開を見せる波というのは出てこない。
例外はテクノくらいのものだろうか。

日本にも独自のロック文化があって、80年代頃からそれなりのマーケットを形成し、90年代以降はビジュアル系や渋谷系、J-パンクなんかが一定のコミュニティを持っていた。
特にビジュアル系はアニメやゲームとのからみでアメリカ、ヨーロッパの一部のファンに熱狂的に支持されていたりするけれども、それがメインストリームか、というと微妙なところで、相変わらずマーケット全体では英語圏のポピュラーミュージックがもっとも幅をきかせている。

ロックの歴史は50年、ビートルズやローリングストーンズ、レッドツェッペリンなんかに影響を受けて音楽を始めた人は世界中に存在するだろう。
にもかかわらず、なぜ日本から、英米以外から、メタリカやオアシス、ガンズ・アンド・ローゼスやレディオヘッドが生まれないのか。



マンガやアニメ、ゲームのメインストリームは日本で、日本発のマンガ、アニメ、ゲームが世界中を席巻している。
要するにオタク文化なんだけれども、その本丸はやはりマンガだろう。
マンガの歴史がどこから始まったのか、定義するのはとても難しくて、葛飾北斎やら鳥羽僧正なんかを持ち出す人もいるけれども、現代に繋がるマンガの文法、コマ、という概念を作り出した人はロドルフ・テプフェールという19世紀のスイス人で、この人を嚆矢とするのが妥当という話が近年、有力になってきた。
とはいえ、社会への認知と歴史的連続性を考えれば、現代のマンガを集大成した人はやはり手塚治虫だろう。
その手塚がデビューしてから60年。
マンガにもいろんなムーヴメントがあった。
少年マンガ、少女マンガ、劇画、スポ根、ギャグマンガ、情報マンガ、職業マンガ、政治マンガ、エロマンガ、4コママンガ・・・エトセトラエトセトラ。
日本は60年にわたってオタク文化の洗礼を受け続けてきたわけだけれども、海外でも、70年代の放送インフラの拡充とそれを支えるコンテンツの不足という事情から、日本のアニメがいくつも放送されるようになった。
オタク文化の受容、と言う意味では海外でもかれこれ30年以上の歴史があるわけだが、30年と言えば、それら日本の文化に接した子供達が社会に出て活躍できるには十分な年月だ。
にもかかわらず、海外からはワンピースも島耕作も、ふたりえっちも、自虐の詩も、ガンダムも、エヴァンゲリオンも、涼宮ハルヒも、月姫も、東方も、けいおんも誕生しないのはなぜか。

音楽にしろ、マンガにしろ、誰だって最初は模倣から入る。
文化芸術のまったくのオリジネイターで巨大な業績を残している人など見たことがない。
文化芸術とは、先人の試行錯誤の積み重ねと偶然と経験によって、洗練、発展していくものだ。

個人が先人を模倣する、そのことにレベルの差はないはずだ。
にもかかわらず、アメリカ人は大人気マンガを描けないし、日本人はワールドワイドなロックをやれない。

映画と文学はたしかに国境を越えて、重要な発信源が世界中にある。
特に文学はどこが本場、というものはなく、世界中に存在する(後進国はその限りではないかもしれないけれども)。

スポーツの多くは確かに容易に国境を越えることができる。
そこには「記録」しかないからだ。
カラオケや食文化もわりと容易に超えられた。

国境を越える文化と超えられない文化の違いはなんだろうか。
かれこれ10年以上引っかかっている問題だけど、なかなか結論が出ない。



この元記事書いたの2008年だけど、五年経った今でもよくわからないですね。
総論的に考えるのは難しくて個別事例として考えたほうがいいのかもしれない。

追記
総論は総論としてありだとは思うけど。

この記事に対する批判が来たので、反論を書きました。
文化の越境に関する記事への反響




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