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怪物化する社会の中で労働者であることと消費者であること

[ 2013/04/22 ]
東浩紀が「動物化するポストモダン」という本を出して、それなりにもてはやされたのが12年前です。

現代では「欲望」の形態が動物のような「欲求」に成り下がっているんじゃないか、ということで、ポストモダン社会における人間の消費形態の分析でわりと注目を集めたけど、そういう言葉を用いることに何か意味があったのかはよくわかりません。
件の著書ではそういう現状だからそういう観点からオタク文化を論じましょう、という話でした。
そういう見方もあるんだろうな、とは思うんだけど、2003年には笠井潔との往復書簡を書籍にした『動物化する世界の中で』という本でさらにその「動物化」という概念を社会にも敷衍した議論を展開していました。
その後、私は東浩紀に対する興味を失い、ツイッターで頻繁に炎上騒ぎを起こしている「ロック」な知識人というイメージしか持っていないので、「動物化」がそれからどうなったのかはよく知りません。
ただ、人々が動物化したって分析していても、それでどうなるんだ、というようなことは述べていなかったように思います。
こういう傾向にある世の中だから、こういう傾向にあった生き方をしましょう。
こういう作品がこれから増えるんじゃないか、というような話に終始していた。
「動物化」しているからといって人間になりましょう、というような話ではなかった。

でも、「動物化」というキーワードはなんとなく頭に残っていて、ふと、今の世の中を見ていると「動物化」というよりは「怪物化」しているといったほうがわかりやすい現象が多くないか?と思ったのは2008年ごろで、mixiに以下の様な文章を書いていました。
姉妹ブログにもおいてある記事ですが、主要部分を抜粋の上、加筆修正しました。原題は『怪物化する社会』




「モンスターペアレント」という言葉はもうかなり一般的なものになってしまったし、「モンスターペイシェント」という言葉もwikipediaには項目ができている。
ためしに検索したところ、すでに「モンスタークライアント」「モンスターコンシューマー」という言葉もそれなりに広がりを見せつつあるようだ。
いずれにせよ、金銭の代価にサービスを受ける側の怪物化が社会のあらゆる場面で広範に見られるようになってきたと言うことだろう。

「お客様は神様です」という言葉は三波春夫の名言で、一人のエンターテイナー、一企業、一商店の経営理念なりとしてはそれでいいのだと思わないでもないが、経団連を主とした資本主義の権化が政権中枢に深く関与する現代日本において、これはまずい標語なんじゃないか、と改めて危惧を抱いた。
貨幣経済の世の中でお客様になったことのない人間なんていないだろう。
誰もが神様になるし、働く者は労働中は誰もが神に仕える従僕になる。
資本主義のクライマックスにおいてはお客様第一主義、お客様至上主義なるものは結果的に人間の怪物化をたやすく招く。
教師の職場環境の悪化、産婦人科医、小児科医のなり手の減少に、社会の怪物化は無関係とは言えないだろう。
サービス業一般では「クレーマー」という言葉は90年代後半から一般化してきた。

「訴訟亡国アメリカ」という本が出版されたのは1995年で、この中で書かれていたアメリカの消費者が企業に対して膨大な額の訴訟を起こすことが珍しくなくなっている現状については当時、かなりの反響、衝撃があったのだが、それは主に法治主義の限界をそこに見る向きが多かった。
だが、むしろそれは資本主義の終わりの始まりを見るべきだったのかもしれない。

お客様=我々には代金、税金を払えばいくばくかの権利が発生する、という前提で世の中は動いているわけだが、その権利の線引きというのが非常に面倒で、利用規約なり法律の条文なりが延々と長くなったりするのはこういうことが原因なのだろう。
そうでもしなければ、「怪物」を飼い慣らすことはできないわけだから。

資本主義がここ200年ばかりは有効だったことを認めるにやぶさかではないが、どうやらそれが「主義」であるかぎり、イデオロギーであるかぎり、腐敗や爛熟を免れることはできないものらしい。




というような文章を書いたのですが、もう少し付言してみたくなりました。

国民の多くは労働者であり消費者であるわけだから、消費者が怪物化する、ということは労働者である時間は怪物に怯えなければならないわけです。
クレーマー的な消費者はもちろん、「お客様は神様」である、という理念で成長した企業により、欲望や欲求を無意識に肥大化させた一般的な消費者の要求レベルも普通に高まっていて、その要求に応えようとすると、労働者のストレスも際限なく高まっていく、という状況が観察されるようになりました。
ブラック企業問題の根っこには神への奉仕の前には労働者の権利などゴミのようなものだ、という前提があるからではないでしょうか。
でも、労働者も消費者も人間です。
労働者である前に、消費者である前に、人間であるわけです。
消費者に権利があるのと同様に労働者にも権利があるのだけれども、そこの部分はわりと抑制されてきました。
日本ではリベラル左派が労働問題をあまり熱心にとりあげないですからね。
消費者であることの権利を追求するあまり、労働者の権利を蔑ろにしてきてはいないか。
多くの人間がどちらの側にもなるのに、一方だけを優遇して、歪な社会になってしまったのが今の日本じゃないかな、と思ったりします。

どこかで消費者の「怪物化」を抑止し、「お客様は神様」という概念に歯止めをかけないとなあって思うんだけど、一方で、企業の側もそれなりに狡猾で、だまくらかされる消費者はけっこう多いですからね。
黙って泣き寝入り、なんて消費者も多かったりする。
高度に発達した資本主義システムや商慣習、経営マニュアルの前に、労働者は抑圧され、消費者は「怪物化」することでしか身を守れなくなっている、というのもあるかもしれません。
そこらへんは個別ケースで考えなくてはならない問題であり、労働者であることと、消費者であること、という二項対立とは別の項目も考えなくてはならないのかな、と。

もう少し、何も考えずに生きて行ける世の中にならないものですかね。

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