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『礼記』・『お召し』・『ソードアート・オンライン』から考える極楽浄土としてのネット空間

[ 2013/07/04 ]
SF的な社会システム論。

四書五経の一つ『礼記』の「曲礼・上」編に以下の記述があります。

人生まれて十年を幼と曰う、学ぶ。二十を弱と曰う、冠す。 三十を壮と曰う、室有り。四十を強と曰う、仕う。五十を艾と曰う、官政に服す。六十を耆と曰う、指使す。七十を老と曰う、伝う。八十九十を耄と曰う。七年を悼と曰う。悼と耄とは罪有りと雖も、刑を加えず。百年を期と曰う、頤う。

これは「弱冠」という言葉の出典として知られる一節ですが、士大夫の人生の節目節目において、どのような状態であればいいのか、という目安として捉えられてきました。
10才で学び、20才で元服し、30才で嫁を迎え、40才で仕官し、50才で重要な役職につき…ということなんだけど、『礼記』が成立したのは諸説いろいろあるけど2000年近く前です。
その時代の人々で100才まで生きられた人がどれくらいいたのか、また40で仕官ってちょっとおかしくないか、という疑問もあったりするんですが、「八十九十を耄と曰う。七年を悼と曰う。悼と耄とは罪有りと雖も、刑を加えず」という一節が以前から気になっていました。
7才と80才以上には罪があっても罰しない、という考えです。

日本でもこの影響からか、現存する最古の法令集である養老律令に10才以下と80才以上(障碍者、妊婦も)には死刑を適用しない、という条文がありました。

○39 禁囚条
囚禁〔しゅきん〕(=獄囚の収監)について、死罪は枷【木丑】〔かちゅう〕(=首かせ・足かせ)。婦女及び流罪以下は、【木丑】〔ちゅう〕(=足かせ)を除けること。杖罪は散禁(=特に刑具を着けず収容して出入の自由を禁じる)。年齢80歳(以上)、10歳(以下)、及び、癈疾〔はいしち〕(=身障者等)、懐孕〔えよう〕(=妊婦)、侏儒の類は、死罪を犯したとしても、また散禁とする。


官制大観 律令官制下の官職に関わるリファレンス Ver.0.8より引用


責任能力、という近代的な考えではなくて、古代の人々は子どもや老人、妊婦、障碍者を半ば「他界の住人」として捉えていたのではないか、という説があったりします。

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他の国の事情までは知りませんが、現在の日本の法律だと刑法41条で14才未満は刑事責任能力を問えないとして、罰せられることはありません。
とはいえ何かやらかしちまったら少年院とか児童自立支援施設とかに送られますけど。
ただ、いずれにせよ通常の刑罰の適用外になる。
でも、現行法では老人だからといって刑法上の特別な配慮が為される、ということはありません。
ぼけていたら責任能力があるのかないのか、という話は当然出てくるけど、年齢で区切ってどうこう、という話にはらない。
老人の特権というと、法制度的には老人福祉法があって、それに基づく行政サービスを受ける権利はいろいろ定められているけど、そんなたいしたもんじゃないです。シルバー割引と定期健康診断が無料で受けられるとかそのくらい。


現代社会の老後は長いです。
その長い老後をどのように過ごすべきなのか、というのはわりといろんな本が出ていて実際に高齢者に読まれているのでしょうが、私は以前からこのブログで言っているように、大麻とネット漬けにしてしまえ、という主張の持ち主なので、現状のシルバーライフ的な本のタイトルをざっと見渡しても、ちっとも賛同できなかったりします。
まあ、現状、50代以上の人たちの多くは特にネットと関係のない人生を送ってきたから手遅れなのかもしれないけど、40代以下の人間にとっての老後を考えてみようか、あるいは、私達が死に絶えたもっと未来の人々の老後について考えてみようか、という話です。


冒頭に紹介した『礼記』にあるように、子供だけでなく80才以上の老人は刑罰の適用外だったという話は興味深いです。
現代の日本社会だと、15歳を迎えて最初の3月31日を超えた時点から労働基準法の適用を受け、16歳で中型・原付免許を取得する資格を獲得し、女性は16才から、男性は18才から結婚が認められ、18才から大型自動二輪・自動車運転免許を取得する権利を得、ポルノを閲覧する自由が得られ、20才で成人になると公営賭博に興ずる権利と投票権を獲得し、飲酒喫煙が認められ、ローン契約等を締結する資格を得、25歳で各種政治職の被選挙権を得、30才で参議院議員・都道府県知事の被選挙権が得られた後は、65才で年金(払ってきた人のみ)受給資格を得るくらいで、特にこれといった権利を獲得することなく人生を過ごしていきます。
ただ、これだけ寿命が長くなった現代社会であれば、たとえば80才…といわず70才くらいになったら第二の成人、という概念を作ってもいいんじゃないかな、ということを少し考えてみました。


小松左京の短編に以下の導入文から始まる『お召し』(ハルキ文庫『物体O』収録)という傑作があります。

養魚池というものをご存知だろうか? 孵化された稚魚は、養魚池にはなされ、一定の大きさになると、別の池にうつされる。
魚にしてみたら、何のために、そんな眼にあわされるか見当もつくまい。


以下、ネタバレするので、気になる方は読まないで下さい。



ある日忽然と世界中から12才以上の人間が消えてしまった世界でサバイバルしていかなければならなくなった子供達についての記録である「古文書」を発見した、3000年後の人々を描いた作品です。
その「古文書」には残された子供たちも12才の誕生日を迎えた瞬間にどこかへ「召されて」しまう、そして新生児が忽然とベッドの上に現れる、という話が書かれていました。
そういう世界で生きて行かなければならなくなった子供達は12年という歳月の中で否応なく成熟することを余儀なくされ、飢餓、災害、戦争などを経て、やがて独自の高度な文明を築くまでに発展を遂げるのだけれども、3000年の月日の中で「大人」という概念は変質し、自分たちが12才以上の年齢に達するなどということが考えられなくなってしまっていたのだ、ということが「古文書」の発見によって明かされます。
人類を超越した文明によって、強制的に子供の世界と大人の世界を隔てられた話、ということで、まさに養魚池の稚魚と成魚を人間に置き換えた作品です。



ところで、電脳空間を舞台にしたSF作品は近年、最も活発なSFジャンルだと思われます。
『ソードアート・オンライン』や『攻殻機動隊』『バルドシリーズ』『マトリックス』『電脳コイル』『サマーウォーズ』あたりがポピュラーだと思うけど、このジャンルを切り開いたのは1984年のウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』ですが、電脳空間における人類の活躍を描いた作品としては、小松左京が多分、一番早くて、短編の『袋小路』(1970、『物体O』収録)という作品で、電脳空間で仕事をする知性体をすでに描いています。
人類の活動領域という意味でネット空間というのが意識され始めている、ということなのですが、たとえば映画『マトリックス』は反乱を起こしたコンピュータによって全人類がその動力源にされている、という設定が描かれていました。
人間は培養槽につけられ、生涯「現実」に目覚めることのないまま仮想現実空間で生きている気になっている、ということに気づいた主人公がこんな世界は変革してやるんだ、として立ち上がるという、まあディストピアサイバーパンクとも言える作品ですね。
一方で『ソードアート・オンライン』なんかは電脳空間はむしろ肯定的に捉えられ、その中で生活することに歓びを見出す登場人物たちが印象的に描かれています。
いずれにせよ、リアルとネット空間の対比的な話が展開しているわけだけれども、現実で身体が動かなくなったら、ネット空間から帰ってこられなくてもいいような気はしますよね。

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「老いと電脳空間」というテーマで描かれたSFはまだ存在しないと思うんだけど、社会システム論的に考えていくと、そこにポジティブな可能性はけっこう広がるんじゃないかな、と。
『ソードアート・オンライン』の「マザーズ・ロザリオ編」ではヒロイン、ユウキの境遇を通して、そのような電脳空間の可能性が描かれていますが、彼女のケースは病気で、「老い」という、より普遍的なテーマではありませんでした。
でも、その考えを延長した先にあるのが、グレッグ・イーガン『ディアスポラ』(1997)あたりかな、という気がします。
この作品は完全に意識をソフトウェア化し、電脳空間で生涯を過ごす30世紀の人類とその危機を描いたもので、星雲賞海外長編部門を受賞しました。
これまた小松左京が『すぺるむ・さぴえんすの冒険』(1977『ゴルディアスの結び目』収録)で先に似たようなことやっていたりするんですけどね。

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)ゴルディアスの結び目 (ハルキ文庫)

SFではすでにこういう世界がいろいろ描かれているわけだけれども、これを現実に適用するとなると、身体が動くうちはリアル空間で過ごし、(仮に)70歳になったら電脳空間の住人になる、という未来はけっこう面白いんじゃないかな、という妄想が頭に浮かんできました。
70くらいまではリアル空間という「養魚池」で過ごし、この現実世界を運営していかなければならないわけだけれども、70を超えたら電脳空間という新たな「養魚池」で生きていくことができる、と。
『お召し』では12才で「養魚池」からうつされたのだけれども、むしろ電脳空間を極楽浄土としてとらえ、70才になったらそこで「新成人」として新たな人生をスタートさせ、若さを取り戻し、冒険をしたり、恋をしたりする、というのは楽しそうだな、と。

人類は地上を楽園とすべくその営為を文明として積み上げてきたのですが、そのゴールは電脳空間として現出せしめることになるんじゃないかな、という未来予測です。
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