努力の物語性/セカイ系民主主義 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

ロックとオタクと思想と政経と社会について思いつきを垂れ流すブログ
お気に入りサイトの最新記事

スポンサーサイト

[ --/--/-- ]
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


↓よければアクセス&モチベーションアップ&話題の拡散に繋がるクリックを↓
ブログランキング・にほんブログ村へ このエントリーをはてなブックマークに追加follow us in feedly

全記事一覧    TOPページ

[ --/--/-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

努力の物語性/セカイ系民主主義

[ 2013/07/25 ]
日本社会で長時間労働が一般化し、ブラック企業が社会問題化している背景には、日本人の間で「努力は美しい」という信仰があるからだ。
「努力」「根性」を重視する、という精神論を批判的に論じる必要があるな、と。

我々はとりあえず目的を持って生きている。

金持ちになるため
出世するため
好きな職業に就くため
いい女(男)とくっつくため
かっこよくなるため
美しくなるため
英語が話せるようになるため
楽器が弾けるようになるため
プログラミングができるようになるため
子供の将来のため
孫のため
親のため
家族のため
友人のため
会社のため
お客様のため
日本のため
世界のため
人に蔑視されぬため
人に羨望されるため
復讐するため
家を買うため
車を買うため
死なないため

我々はそうして何かのために生きて行くことをほとんど宿命付けられている。
これらは生物的本能として我々が生来的に誰もが備えている欲求や、そこから派生してごく普遍的に観察されるケースの多い欲望の例だが、そうした目的に到達するためにとる諸々の行動についてのノウハウは様々な形で記述される。
マニュアルとして、ライフハックとして、自己啓発本として、物語として。

我々は誰かの人生をモデルケースとしてそれを自身の人生に当てはめる、ということをごく日常的に行っている。
スポーツ選手、アイドル、お笑い芸人、役者、ミュージシャン、タレント、文化人、起業家、政治家、クリエイター、学者といった実在の著名人はもちろん、映画、マンガ、小説といった物語に登場する人物達の生き様に憧れる、ということも珍しいことではない。
そして、実在の人物達の人生を知る術も、多くは物語という形式を経ることが多い。
再現ドラマなんてその最たるものだろう。
それらの物語で主人公が目的到達や成功に至る過程を描く際には努力している姿が印象的に描かれている。
努力にはドラマ性がある。
少年ジャンプの三大テーマは「努力・友情・勝利」だ。
エジソンは「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」と言った(と長らく信じられてきたが、最近は異説もある模様)。

何かを成し遂げるのに、努力が必要なケースはとても多いし、それが美徳であることを否定しようという気にもなれないけど、でも、努力は目的に達するために取りうる手段の一つでしかなくて、それがなくても目的に達することが出来る場合もある。
目的に達するのにどんな場合でも必須なのは目的を正しく設定し、その為の方法論を正しく理解することだ。
努力の他にも他人の力やショートカット的な方法論や新しい発想を取りうることもありえるし、それらを状況に応じて駆使して我々は目的に到達しようとする。
努力だけではないのだ。

でも、この社会はそうして間違った努力をいくらしたって目的に到達することはできないのにも関わらず、努力そのものを目的化するかのような努力信仰を蔓延させることによって、ブラック企業的な長時間労働を許容してしまう下地をつくってしまっているのではないか。
我々の人生において最も大事なことは努力することではなく、目的に到達することだ。


努力は多くの場合、苦痛を伴う。
にも関わらず、それが必ずしも実るとは限らない。
だから物語の中で努力がきっちり報われたり、努力が美しく描かれるのは、読者を慰撫し、現実を補完する、という意味では必然のことではある。
自分が間違っていたのではないか、自分の努力は無駄だったのではないか、ということを認めるのは勇気のいることだ。
世の中の多くの人は自己肯定することで自分を支えているのだから。

でも、いかに物語が人生のモデルとしての機能を持っているとは言えども、間違った努力は間違った結果しか生み出さない。
努力が足りなかった?
既定値に達するまで努力する能力がなかったのだとしたら、それを補完する別の方法論があっただろうし、それも見つけられなかったということは、そもそもその目的を目指す資格がなかったということだ。
その意味で、自己目的化してしまった努力は有害なものだ、とさえ言えるだろう。
そういう挫折にも意味がないとは言わないし、挫折という体験が別の目的達成の糧となるケースも珍しくないけれども、当初の意義とはずれてしまう。


我々は時として自らの努力による成功体験を元にして政治を、社会を、経済を語ろうとする。
でも、社会システムを論じる上ではそういう計量化できない個人の体験とか努力など何の意味もない、ということを知らなければならない。
そうした体験談や苦労話は人々の共感を呼びやすいかもしれないけれども、所詮、政治に携わっている人間の体験談や苦労話の中で語られる努力など、たまたま報われた例にすぎない。
世の中にはあまりにも多くの報われない努力が存在している。
負け犬たる人々はその報われない努力を美化することで自分を慰めているわけだけれども、慰められたからってその人の客観的な状況が改善されているわけではない。

つまり、社会システムはセカイ系ではないのだから、そうした個的な体験と切り離した上で普遍的な論理で語られて然るべきはずなのに、政治の場で語られる言説に、そういう努力に裏付けられた経歴が重視されてしまうのは、どこかおかしいだろう、と。
正しい方法を選択、実行できる人が支持されるのではなく、成功者として実績を積んだ人が支持されやすくなっているのは、我々が政治に正義よりも、物語を要求しているからだ。
だが、てめーの成功体験が社会の成功に繋がる保証はどこにもないんだよ、と。
ミクロの成功とマクロの成功は別次元だろ、と。

努力した人が必ずしも報われるわけではないし、努力した「だけ」の人が報われるような世の中は狂っているのだから、必要以上に努力を賛美し、努力にすがった価値観を押し付けられても、世の中は疲弊していくだけだよ。

努力はいらない! 「夢」実現脳の作り方努力はいらない! 「夢」実現脳の作り方
苫米地英人

マキノ出版
売り上げランキング : 6823

Amazonで詳しく見る by AZlink
関連記事


↓よければアクセス&モチベーションアップ&話題の拡散に繋がるクリックを↓
ブログランキング・にほんブログ村へ このエントリーをはてなブックマークに追加follow us in feedly

全記事一覧    TOPページ

[ 2013/07/25 ] 考察 | TB(0) | CM(-)
忍者AdMax

トラックバック:
告知

他アカウント等
・昔書いた小説
・Twitterアカウント
・はてなブックマーク

相互RSS募集中
何かあればこちらまで sencha.freak69■gmail.com
煎茶

ブログのコメント欄は閉鎖しました。コメントははてなブックマークかツイッター、もしくはメールで直接管理人までお願いします。

忍者AdMax


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。