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『鋼の錬金術師』(荒川弘)

[ 2010/06/22 ]
8巻くらいからリアルタイムで読んでかなりはまっていた。
少年向けマンガ、あるいは深夜帯以外でテレビアニメ化されるような作品の原作としては、かなり生命倫理や人種問題に踏み込んだ作品だった。
舞台が架空の世界、ということでリアリティを外してはいるのだけれど、形而上学的な意味での思考材料としては申し分ない。
優等生的な解答ではあるんだけど、ここまで真正面からやって、きちんと風呂敷をたためた作品というのもなかなかなかったように思う。
作劇技術も相当な水準だった。

何をもって人間とするのか、生命とするのか、知性とするのか、というのは昔からSFで取り扱ってきたテーマで、様々な回答や苦悩をいろんな作品で見ることができるのだが、意外なことに、学問的な意味での哲学テーマとしてはそれほどメジャーな問題ではなかったりする。
現在の哲学は枝葉の議論になりすぎていて、もはや、誰もが抱きうる問題に対する即応性を破棄しているいい例だろう。
だが、万人が納得する解答などないことがわかっていても、やはりこの種の問題がつきつける重さの前に、我々は立ち止まってしまう。

どんな問題だって、その解答は個々人やコミュニティで変わってくるものだけれど、普段、自明のものとして捉えている「人間とはなにか」という問いがもたらす「存在感の揺らぎ」はわりと思春期なんかには大きくて、私も小学生くらいの頃にはよく考えていた。
現実問題としては結局、我々が人間であること、生命とは何か、知性とはなにか、というのは法律によって規定されていて、我々がそうした存在であることを現実的に保証しているのは法律以外になかったりする。
遺伝子だとか、自律性とか、機能性とか、共感とか、そういうのは状況証拠でしかないわけだ。
まあ、その法律にしたところで、主権者が望めば変えることができるわけで、決定的とはいえないわけだけれど。

この作品の主人公は一貫して、どんな「形」になろうと、人を人として扱ってきた。
発生学的な意味での人の始源の境界、というのは作品内で描かれなかったけれども、それにしても困難な道で、それを貫き通すことがどれだけの覚悟を試されるのか、ということを考えずにいられない。
医療現場なんかでは日常的に生死の境界と向きあうわけだけれども、そうでない者が人を人たらしめることの現実的な困難と立会ったとき、たぶん、こういう作品の存在が選択の道しるべになったりするのだろうな。
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