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『セルフ』(朔ユキ蔵)

[ 2009/08/25 ]

スピリッツに連載されている女性作家のマンガ。2巻まで読んだ。

12歳でセックスを覚えて以来、24歳まで一度もオナニーを知らなかった主人公がとある本との出会いによって、オナニーの深遠な世界に目覚め、その道を極めていく、というストーリー。
登り棒、プールの噴水口、こんにゃく、ローション、屋外露出、と様々なオナニーの階梯を駆け上がっていく様子が面白い。
絶妙な間が素晴らしく、シリアスな文法の中でデフォルメやカリカチュア、ブラックユーモア、パロディなどといった手法を使わずに笑いを誘発する術に長けている。
また、女性作家であるにもかかわらず、男性の性衝動を非常に繊細に書いているのが驚き。
主人公の性衝動には普通に共感できる。

いわゆるエロマンガにも女性作家は何人かいて、それはそれでうまいのだけれど、彼女らの描く男性の性衝動というのは「エロマンガフォーマット」の中で定型化したものであるのがほとんどなので、あまり意識したことはなかったのだが、この作品のように、「自分だけで射精する」という行為に特化した作品だと、やはりその表現手法を意識せざるをえない。
また、通常のセックスシーンの場合、あまりにも表現の雛形が多数あるため、そこに特異点を見出せるほどの作家性が見つかりにくくなっているのかもしれない。
そこへ行くと、オナニー描写というのは表現の雛形がセックスほど確立していないため、作家性を見出しやすい。

さらに敷衍して考えていくと、恋愛というのは文学性、芸術性が高いけれども、セックスには文学性、芸術性がそれほど宿らない。
だが、オナニーにはどうだろうか。
オナニーの文学性。
程度の低い芸術作品をさして、「あんなのオナニーじゃねえか」というような罵倒をよく聞く。
だからといって、すぐれた芸術作品をさして、「セックスだねえ」とは言わない。
なぜ、芸術作品には「オナニー」という罵倒が通用するのか。
それは他者から見て、その作品が、作家の内部にあるものを己の、己の快楽原則だけに従って表現しているように、見えるからだ。
けれども、一方でその「オナニー」に共感してしまう他者もいるわけで、共感できてしまった人間にすれば、その「オナニー」はやはり至高の芸術作品であったりするわけだ。

しかし、オナニーを題材にした文学作品、芸術作品、というのはさすがにそれほど多くない。
人間の変態性に着目し、その表現に腐心した作品もいくらでもあるが、オナニーに特化したものは寡聞にして知らない。
たしかにオナニーというのは嘲笑される行為であるんだけれど、その一面だけが取り沙汰されて、オナニーの多様な側面を考える機会があまりなかったのは、もったいないと思う。
その意味で、この作品によって、何か新しい地平が開拓されることがあったりしたら、面白いなあ。
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