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『虹の階梯』(ケツン・サンボ&中沢新一)

[ 2007/10/08 ]

チベット密教ニンマ派の修行ノウハウについての本。
仏教の論理的側面も描かれてはいるが、やはり密教になると宗教的側面が強くなってくる。

80年代当時は「ニューアカデミズム」の代表的著作として浅田彰『構造と力』なんかと共に語られていたわけだが、それよりも今ではオウム真理教の教科書だった、という事実として記憶している人のほうが多いだろう。
この本を読んでオウムに入信した信者は多かったし、オウムの修行体系はこの本を参考にしたものであるし、教祖である麻原自身、拘置所からこの本をより寄せている。
オウムの教義そのものといってもいいからか、本書は歴史的に重要な意味を持つにも関わらず、ハードカバーの単行本、中公文庫版ともに、絶版になっている。
今回読んだのは図書館で借りた中公文庫版。

宗教心、あるいはそれを敷衍した道徳は大事だ、と常々考えながらも一向に宗教心の希薄な私としては、この作品で執拗に描かれている真理への道程は迂遠で無意味なものにしか思えず、身になるところは少なかった。
密教でももちろん、「空性」を中心にした教義体系を説いているわけだが、そこにたどり着くまでの過程というものが、果たしてマニュアル化できるものなのか。
ヒンズー教の勢力拡大に伴い、仏教はそれに対抗すべく呪術的な側面を帯びるようになったのだが、それは大衆的な耳目を集める、という以外に意味があったのか。
なんだかんだいって、キリスト教と違って仏教の「約束の地」が内在的なものである以上、修行で得られる効果は個々人の身体的な器質と切り離して考えられるものではない。
それに、仏教の理論的骨子は龍樹によって完成を見ているわけだから、結局は個々の人生において、それぞれのやり方でその心の安寧なり「真理」なりを目指すほかに、悟りの境地とやらに辿り着く道はないと思う。
とはいえ、いくつかの轍は指し示してやる必要はあろうが、ここまで極端なものになると、それはやはりオウム真理教を生み出す母胎となってしまう。

一方で、宗教心なき身から読めばこれは『神曲』や『聖なる予言』なんかと同じく、くだらないスピリチュアルものにしか見えなかったりもする。
信仰の力なき世界において人々の心を救うのは難しいな。
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