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『龍樹』(中村元)

[ 2007/09/23 ]

八宗の祖、と言われ、真言八祖と浄土真宗七高僧に挙げられ、顕教と密教の橋渡し的な役割を果たした龍樹(ナーガールジュナ)とその主著『中論』を論じた書物。
初期仏教の歴史、部派仏教と大乗仏教の対立、龍樹の事績、著書・思想の解説、著作の全訳収録、と仏教の理論的な側面を知るには絶好の書物だった。

あまり比較して語られたことはないかもしれないけれど、キリスト教におけるパウロのような働きをした人物である、と言っていいと思う。
キリスト教がパウロによって広められたように、現在ある仏教は龍樹が立てた理論を発展させたものだ。
だが、パウロがキリスト教伝道の過程で
「我童子のときは語ることも童子のごとく、思うことも童子のごとく、論ずることも童子のごとくなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」(コリント人への手紙)
と吐露し、自覚的にキリスト教の「毒」を捨て去ってしまったのとは異なり、龍樹は仏教の核となる部分「空」を真摯に抽出している。

というわけで、全体を通して扱われた事象は多岐にわたるが、要するに、「空」とは何か、についての本である。
正直言って、原始仏典は言葉が平易すぎてちっとも心に染み入ってこなかったのだが、ここでは小難しい哲学用語が頻繁に登場することで、一つ一つの単語が具体性を帯びていて、かえって理解が容易に思えた。

仏教の外側から見れば、あるいは哲学の外側から見てしまえば、ここで論じられていることはすべて言葉遊びでしかない。
「涅槃」というものが日常生活にあることはわかった。
「涅槃」にいたる過程や論理は最終的には破却されるべきものであることもわかった。
すべての事象は「縁起」による関係性によって成立しているのだから、独立して存在する「有自性」は存在しない、ということが「空」であることも理解できた。
脳生理学的な見地から言っても、自我というものが否定されるべきものではないか、という考えも理解できる。
私が今まで読んできた宗教、哲学で語られた論理よりも明快で力強く、普遍的な価値を有しているとは思うけれど、それでも、やっぱり仏教的な原理以外のところで世の中は動いていて、究極的に、仏教を必要とする衆生がどれだけの力を獲得できるのか、定かではない。
ただ、この普遍性ゆえに、キリスト教やイスラム教、儒教の持つ可能性よりは仏教のほうを重く感じた。
しかし、それは宗教の思想としては、という意味であり、これを敷衍することで現実的な思想にどのような反映がなされるべきか、というのは別問題だ。
その「別問題」にこそ、人々の関心はあるわけだから、そこに仏教が対処しえるか、というとやっぱり疑問符がつく。
まあ、あくまで仏教の外側から見た人間の感想でしかないし、仏教の内側の論理からすれば、それはたいして重要な問題ではないんだけどね。
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