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『ブッダ 神々との対話』(中村元 訳)

[ 2007/08/29 ]

原題は「サンユッタ・ニカーヤ1」
これまた最古層に位置する文献が収録されている、と言われている仏典。

ここで言う「神々」というのがどういう存在なのか、いまいち要領をえない説明で、よくわからないのだが、とにかく、神々とされている存在たちと、釈迦との対話が収められている。

これまでに読んできた仏典は、わりと抽象的かつ根源的な言説が多かったのだが、この書では「神々」が発する様々な問題提起に対して、臨機応変的な対応を見せる釈迦が描かれている。
そのため、明らかに仏教本来の言説と矛盾するような発言がいくつか散見して、戸惑いを禁じえなかった。
俗流道徳と変わらない話がいくつも出てくるし、釈迦自らが輪廻転生を説いているとも思わなかった。
もちろん、これは便宜的なものでしかないのだろうけれど、表層を解釈しているだけでは、誤解を生むと思う。
あるいは、これゆえに、仏教は哲学と宗教、両方の側面を持つにいたったのかもしれない。
現役の仏教者と話していると、仏教の論理的側面よりも、儀礼的、様式的側面に重きを置く言説の人が多いし。

仏教が様々な宗派に分かれ、しかもその教えが部外者にいまいちわかりづらい遠因はここにこそあるのだろう。
キリスト教なんかはとりあえず聖書を読めば、すんなりわかるけれども、仏教はこうはいかない。
もちろん、キリスト教とて様々な宗派があるけれど、哲学的な側面は希薄だから、宗派の違いは聖書内の事物の優先順位の違いでしかない。(あくまで私の理解だけれど)
セム系宗教なんてのは極端な話、善行という名の不良債権の回収マニュアルだもんなあ。

仏教にももちろん、そういう側面はあるんだけれども、その「向こう側」にあるものが見たくて読み進めている身としては、その「向こう側」が見えづらくて、ちといらいらする。
スッタニパータではたしかに「向こう側」を説いていたのに。
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