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フョードル・ドストエフスキー「白痴」

[ 2006/12/26 ]

スイスから故郷に帰ってきたムイシュキン公爵が周囲の人間環境に及ぼす影響を描いた気違い礼賛小説。

「無条件にすばらしい理想的な人間」を描こうとして創造されたムイシュキン公爵であるが、ドストエフスキーが思い描く理想と私自身の理想との間にギャップがあったので、そういう主題の小説としては読めなかった。
私の解釈では、理想的な人間とは「自身が能力的に秀でているだけでなく、自身と関わりのある人たちをより高い次元の幸福へと善導することができる人間」であると思うのだが。

誠実で、知能もまともだけれども世間知らずで空気の読めない青年ムイシュキン公爵は、ロシア的因習とは違うところで生きていて、その言葉の端々には真理が見え隠れするのだが、そのことによって、旧来の人間関係が次々と破壊されていく周囲はたまったものじゃない。
それは世間が醜いものだから仕方ないんだけど、醜い側としてもそれなりにがんばって生きている。
爬行的な理想が普遍的な理想足りえるのか、という点で、常に疑問を抱えながら読んだ。
だが、彼の「誠実さ」が結果的にクラッシュを迎えるラストは強烈な緊張感を強いられると共に、ちょっと異様な感動すら覚えた。


毎度のことながら、ドストエフスキーの小説は脇役の人物造形が素晴らしい。
公爵の同情をひきつける絶世の美女ナスターシャ・フィリポブナ、公爵と相思相愛のアグラーヤ、恋敵ロゴージン、肺病のイポリート、公爵の人間性を透徹した視線で刺し貫くエウゲーニィ・パーブロヴィチなど、いずれも複雑な人間性が描写されていて、ドストエフスキーの心の病み方が尋常でないことを想像させる。

ムイシュキン公爵がナスターシャへの同情から結婚を決意するくだりは、小松左京が「女狐」という小説で
「男が周囲の反対を押し切ってでも妻を選ぶときは、恋愛感情よりも、決意による場合が多い」
というようなことを書いていたのを思い出した。
この決意がどのような主体によって、どのような客体に向けてなされる決意かはともかく、深い洞察であるなあ、と思った。


気違いの中に理想的人間を見ることは、あたかも水が低きに流れるように馬鹿に吸い寄せられるからなのか、人間の原型がそこにあるように見えるからなのか、単なる後ろめたさからなのか、容易に結論の出ることではない。
ただ、気違いと天才は紙一重であることもたしかなわけで、よくも悪くも規格外の人間が共同体に現れることによってもたらされた混乱は興味深かった。
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[ 2006/12/26 ] 古典・純文学 | TB(0) | CM(-)
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