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文学者が「先生」と呼ばれなくなった世の中

[ 2011/10/07 ]
なんとなく思いついたので。

マンガ家は先生と呼ばれる機会が多いのに、文学者が「先生」と呼ばれる機会って最近はあんまりないですね。
最近はラノベの勢いがいいですが、ラノベの作家で「先生」と呼ばれる機会が多いのは田中芳樹くらいしか思いつきません。
谷川流や田中ロミオを「先生」と呼ぶ人と、リアルでもネットでも出会ったことはないですね。
作家一般でも売れている作家で「先生」と呼ばれにくい人は結構います。
村上春樹は「先生」と呼ばれないし、村上龍も、伊坂幸太郎も、綿矢りさも「先生」と呼ばれない。
小松左京は「先生」と呼ばれていたし、筒井康隆も京極夏彦も宮部みゆきも「先生」と呼ばれますが、特に若い作家はそれほど「先生」と呼ばれなくなりました。
しかし、ワンピースの尾田栄一郎なんかは尾田先生、と普通に呼ばれていたりします。
荒木飛呂彦は荒木先生で、藤子不二雄AはA先生で、久米田康治は久米田先生で、島本和彦は島本先生で、岸本斉史は岸本先生です。
マンガ雑誌の欄外には「荒木飛呂彦先生にはげましのおたよりを出そう」なんて告知が出ているくらいなので、それで刷り込まれてしまったんですかね。
もちろん、ネット上で叩かれまくっている先生もいくらでもいるわけですが、マンガ家に対して先生と呼ぶことにそれほど抵抗を持っている人はいない、ということです。
ネット上で富樫義博を冨樫先生と呼んでいる人はあまりいないですけどね。
あと、マンガ家はだいたいアシスタントを使って作品を制作するので、アシスタントからは普通に先生と呼ばれているはずです。
自然と先生と呼ばれるに足るオーラを身につけてしまう、ということでしょうか。

売れない若い作家など、先生と呼ばれる価値はないと、確かに私も思うのですが、売れない若いマンガ家でも、雑誌に名前が載れば「○○先生にはげましのおたよりを」となります。

例外はいくらでもあるのですが、ただ、職業全体の傾向として、文学者よりもマンガ家のほうが「先生」と呼ばれる機会が多くなったのは、近年の変化でしょう。
小説よりもマンガの社会的存在感が強い、ということに加え、制作、流通のシステムからマンガ家のほうが先生と呼ばれやすい土壌が出来上がってしまった。

文学の地位を再び上昇させるためには、作家を「先生」と呼ぶ習慣を国民に植え付けなくてはならないんですかね。
でもまさか自分の単行本に「○○先生にはげましのおたよりを」とは書けないでしょうから、マンガのように雑誌の欄外に、となるわけですが、文芸雑誌なんてまったく売れていないですからねえ…。


どうでもいい話ですが、世の中の変化の一端で有るなあ、と思ったので、記事にしてみました。
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