吉田秋生「吉祥天女」 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

ロックとオタクと思想と政経と社会について思いつきを垂れ流すブログ
お気に入りサイトの最新記事

スポンサーサイト

[ --/--/-- ]
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


↓よければアクセス&モチベーションアップ&話題の拡散に繋がるクリックを↓
ブログランキング・にほんブログ村へ このエントリーをはてなブックマークに追加follow us in feedly

全記事一覧    TOPページ

[ --/--/-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

吉田秋生「吉祥天女」

[ 2006/08/30 ]
天女の末裔とされる叶家の娘で、絶世の美女である小夜子が街に帰ってきたのを機に、小夜子とその財産を狙う遠野家が繰り広げる陰謀、事件を描いた心理ホラー。

お家騒動ものではあるのだが、それ以上に男女の性差というものを深くえぐった快作であるように思う。
女性であるが故に男達から迫害を受けた小夜子のあらゆる形の復讐を描いている。

その妖しい魅力や智謀の冴えなど、小夜子のキャラクター造形が素晴らしい。
その時々で登場人物の誰の視点からのシーンなのかわかりづらい点が多く、焦点をもう少し絞ってほしかったという不満はあるものの、完成度は非常に高い。


「美しいことは罪ですか」なんていうセリフはどこで聴いたのか覚えていないけれど、「好意」というものが時に暴力になりうる、ということを思い出した。
よくよく考えてみると、セクハラや強姦が「好意」に基づくものであるということは自明の理である。
人は楽しいことを共有したがる。
飲み会、サークル、宗教、スポーツ観戦、映画鑑賞その他諸々。
勧誘者の側は好意に溢れている。
だが、勧誘される側は必ずしもそうでない場合もある。
強姦にしても同じことで、よく強姦魔をさして、女をモノ扱いにして、などというけれど、強姦魔はモノを強姦したりはしない。
セックスの快楽を共有したいが為の強姦なのだ。
魅力的な人間はそういった「好意」の暴力に常に晒される。

「好意」の様々な形の顕現とその結末がこの作品には描かれていて、「女の業」が何による業であるか、ということを考えさせられた。
関連記事


↓よければアクセス&モチベーションアップ&話題の拡散に繋がるクリックを↓
ブログランキング・にほんブログ村へ このエントリーをはてなブックマークに追加follow us in feedly

全記事一覧    TOPページ

[ 2006/08/30 ] マンガ | TB(0) | CM(-)
忍者AdMax

トラックバック:
告知

他アカウント等
・昔書いた小説
・Twitterアカウント
・はてなブックマーク

相互RSS募集中
何かあればこちらまで sencha.freak69■gmail.com
煎茶

ブログのコメント欄は閉鎖しました。コメントははてなブックマークかツイッター、もしくはメールで直接管理人までお願いします。

忍者AdMax


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。