小松左京・谷甲州「日本沈没 第二部」 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

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小松左京・谷甲州「日本沈没 第二部」

[ 2006/07/22 ]

1973年に発表された「日本沈没」の33年ぶりの続編。
高齢化の為、自ら執筆することができなくなった小松左京に代わり、谷甲州が全面的に執筆している。

日本列島が沈没し、世界中に難民として散っていった日本人達のその後が描かれている。
作品世界では前作から四半世紀が過ぎ、沈没後に生まれた日本人達からは日本人としてのアイデンティティが失われようとしている状況で物語が綴られる。
小松左京は確実に、現実の世界と「沈没」後の世界を同時に生きてきたのがよくわかる。


導入部とラストは素晴らしい出来だけれど、膨大な情報量をさばく為に、小説としての構成を度外視しているように思う。
会話文が異常に少ないし、魅力的な人間を描くことには全然、エネルギーを裂いていない。
この辺、前作の偉大さを否応なく思い知らされた。
それでもやっぱり泣いたけれども。

とはいえ、前作がそうであったように、シミュレーション小説としての土台の確かさは類を見ないように思う。
たとえば、村上龍「愛と幻想のファシズム」や矢作俊彦「あ・じゃ・ぱん」なども膨大な資料を駆使して日本民族の危機とその対処を描いた傑作ではあるのだが、文学的なシニカルさにこだわるあまり、問題の本質を充分に掘り下げるところまでは到達できていない。
前作では、日本人がどういう存在であるか、今作では、前作のテーマが語られると共に、どういう存在であるべきか、がナショナリズムとコスモポリタニズムの間でよく描かれている。

日本人とは何か、という命題は知識人の間では常に議論されるテーマであるが、小松左京のように思想性を廃し、実証から語れる人間は少ない。
谷甲州が小松左京の思惑をどこまで作品化できたのか、簡単には判断できないけれど、テーマの展開、深化という意味ではよくできた作品であると思う。

小松左京自身が元気な頃に書かれていたら……!という想いもあるが、まずは書かれたこと自体を喜びたい。
先日のトークショーでは第三部の執筆もほのめかしていた。
彼が健在のうちにその三部を読みたい。
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