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有吉佐和子「悪女について」

[ 2006/07/09 ]

大衆文学の凄み醍醐味を存分に味わえた。
関連のある人間達の多角的な視点からの証言によって、ヒロインの人格を浮かび上がらせる、という非常に野心的な試みによって描かれている。
同じような手法で宮部みゆきが「火車」を描いていた。
あれも作劇テクニックの粋をこらした良作だったけれど、比較にならないなあ。

ヒロイン「富小路公子」を語る人々の俗物ぶりが素晴らしい。
それぞれが俗物なりの事情を抱え、彼女に引きずり回される様が痛快。
一人も彼女の正体を見破れる人間を登場させなかったのは意図的なものであろうし、そこを徹底してみせたのも興味深い。
まさに「悪女」として、彼女はこの作品に君臨している。

悪女とは言っても、彼女は詐欺罪が適用できそうなこともやっているが、そうそう簡単に立件できるような犯罪には手を出している描写がない。
それでいて、悪女と称されるのは、法を熟知し、常識を踏み越える度量を持っていたからだ。
法は常にそれを知るものの味方であり、決して弱者の味方ではない。
一見、常識に則っているかのように振舞いつつ、常に常識の外側からの視点を持ち続けた彼女の超人ぶりが冴え渡る。

とかく超人的なキャラクターにはリアリティが決定的に欠けていることが多いのだが、俗物達によって固められたリアリティの上に尚も足元を揺るがすことなく屹立する彼女の個性は、現代文学の中でも稀有な存在感を放っているように思った。
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