アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

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アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」

[ 2006/05/12 ]

映像詩人タルコフスキーの渾身の傑作。
実は学生の頃に一度観ていたのだが、それと気づかず鑑賞した。
一時間半ほど経過した終盤の衝撃的なシーンで「あ、これ見たことある!」と気づいたのだが、どうやら21,2の頃の私にはこの作品の良さがまったく分かっていなかったようだ。
なんてことだ……。
かつての私の愚かさ加減に腹がたった。

28の今見ても、もちろんすべてがわかったわけではないのだけれど、それでもこれが傑作だということはわかる。
その衝撃的なシーンがどういう意味で衝撃的であるか、というのがわかったのも嬉しかった。

ストーリーはそんなに難解なものではないと思うのだけれど、「映像詩人」の異名を持つ彼らしく、説明不足な時間の流れの中で淡々と展開していく枯淡の美意識に酩酊させられる。
ついつい、筋を追うのを忘れてしまうのだ。
明澄な水たまり、朽ちかけた土壁、廃墟の佇まい、汚れた鏡、たよりない蝋燭の炎、疲れた男女、少年の瞳、少女の笑顔、色彩の少ない現実と入れ子に現れるモノクロームの回想、そこにあるあらゆるものが美しい。

ただ、間のとりかた、シーンのつなぎにかなりの時間を割いているので、当時の私にはそういった美意識を理解することができず、印象に残らなかったのだろうと思う。
今ならば、それが計算しつくされた間であることがわかる。

失われてしまったものの意味が今は少しわかる。
我々は思い出と戦っても勝てないのだ。

何年か後、また見返すことになるだろう。
30年後のフェイバリットシネマ、ナンバー1の最有力候補。
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