大江健三郎「万延元年のフットボール」 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

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大江健三郎「万延元年のフットボール」

[ 2006/01/12 ]


大江健三郎の代表作でもあり、その作家活動における転換点ともなった作品。
彼の作品は「燃え上がる緑の木」しか読んだことがなかったので、今回で2作目。
テーマは違えど、現れるモチーフは「燃え上がる~」とかなり共通しており、1965年からこっち、大江健三郎はずっとこれらのモチーフを足場にして作品世界を構築していることになる。

「燃え上がる~」が比較的読みやすかったのに比して、この作品は晦渋で、生硬な文章に苦闘させられた。
後年の作品の読みやすさから考えて、単純に文章力が拙劣なだけのような気もしたが、そうではなかった。
単純にテーマ自体が現在の私の関心から遠く隔たった場所にあったからに過ぎない。

ここで徹底して描かれているのは近代的自我の葛藤であり、個人が葛藤し、挫折し、困惑することの意味を執拗に追った魂の遍歴である。
言ってみれば非常に普遍的な文学のテーマなんだけれど、イデオロギーに跳ねてしまった人間特有の臭みと郷土に対する屈折した愛着が混合した結果、歪でありながらも非常に独創的な方法論を確立している。

この作品ではその歪な方法論によって描かれる自我の葛藤が今日的必然性を失わないギリギリのところで成立しており、緊張感を生み出すことには成功していると思う。
一歩間違うと、うざったいだけの繰り言にすぎなくなるのだけれど、この方法論の独自性が大江健三郎という作家の評価の根拠であろうことを考えると、立場を異にする私としてはちょっと辟易してしまう。

ただ、過去の事件をあのような形で再現しようとする作品のアイデアと筋自体はよかったし、転換点以前の作品がどのようなものであるか読んでみるか、という興味を喚起させられるほどには面白かった。
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