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上野千鶴子「ナショナリズムとジェンダー」

[ 2005/12/03 ]
慰安婦問題を軸にして、フェミニズムと近代国家の関わりを精緻な論理で語っている。

慰安婦の補償の問題に関して言えば、私自身は彼女らの主張を留保しつつも、現行の法体系、国家間の立場を考慮に入れた場合、上野の立場に懐疑的だ。
また、慰安婦問題をジェンダーの問題に一元化し、そこからの一点突破を図るような言説にはちと疑問を持った。
ただ、上野自身も自覚しているだろうけれど、立場やアイデンティティを留保する根拠にはなりうる。

フェミニズムが近代と共に生まれた、とする認識は私も同様だが、上野が最後で示した、フェミニズムは近代を超えられるか、という問いには賛同できない。

フェミニズムが目の敵にするところの家父長的社会制度が歴史の必然であったように、そしてそれが終焉を迎えつつあるのが歴史の必然であるように、近代が歴史的終焉を迎えるとき、フェミニズムも歴史的役割を終えているだろう。
もちろん、我々は近代の終焉がどのような形で訪れるか、など予想することはできないわけだけれど。
近代的価値の更なる普遍化による次のステップへの昇華か、壮大な反動が待っているか、どっちだろう。

ただ、どちらにせよ、それを超えてなお、フェミニズムを追求するというのならば、運動のための運動と堕しているか、いみじくも封建遺制としりぞけられた封建社会制度の如く、ジェンダーの問題そのものが時代遅れとなる可能性もある。

近代の背理としてのフェミニズムという言説はそのまま、民主主義の背理としての共産主義、ファシズムという言説と等価である。
共産主義もファシズムも近代が産み、そして近代を超えることはできなかった。
フェミニズムだけがどうして超えることができるというのか。


全体に、現在のところアンチ・テーゼとしては有効でありつつも、それがメインストリームとなるような言説には成りえないところが、フェミニズムの限界なのかもしれない、という印象をもった。
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