大塚英志×ササキバラ・ゴウ「教養としてのまんが・アニメ」 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

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大塚英志×ササキバラ・ゴウ「教養としてのまんが・アニメ」

[ 2005/11/19 ]

二部構成。
大塚英志が担当するマンガ部分はマンガの「記号絵」がその発生時期から現在までの身体性を獲得していく過程をきわめて啓蒙的に語っている。
取り上げた作家が手塚治虫、梶原一騎、萩尾望都、吾妻ひでお、岡崎京子の五人に絞られており、教養としての、というよりは教養小説、ビルドゥングス・ロマンとしてのマンガ史に絞られている。
マンガ表現の革新、後への影響ということで考えれば「教養」として加えるに、他の選択肢もあったはずだ。

的確な分析と着眼点はよかったけれど、期待していたものとは違った。
そのテーマに沿ったものとしては充分に面白かったからいいけれど、ちょっと肩透かしを食った感は否めないなあ。

ササキバラ・ゴウが担当したアニメ部分は、アニメ表現の発達史と作家論が包括的に語られており、ページ数の都合上、やや言葉足らずながらも、期待したものが読めた。
押井守を削ったのは意図的なものだろうか。

アニメは、製作体制がそもそも、原作ありきのものが多く、携わるスタッフも多いので、どうしても作家論で語りにくい部分がある。
この本では文化的背景は充分に論じられていたけれど、技法的な部分は出崎統の項で詳述されていたくらいで、いささか物足りなさを感じた。
まあ、絵もかけない私にはそのほうが面白く読めたりするんだけど。

とりあえず、岡崎京子はもちっと読まなきゃいけないってことを改めて確認させられた。
岡崎京子的な価値がどれほど有効なのか、今の私にはまだわからないけれど。
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