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『武士道』(新渡戸稲造)

[ 2011/06/03 ]

日露戦争終結の4年後、1899年に英語で出版された武士道の「バイブル」。

新渡戸の本来の執筆動機は、大国清に勝利してしまった極東の小国ニッポンに対する欧米人の驚きや好奇心、警戒心に、日本人の立場から答えよう、というものだったと思う。

ところで、武士道という様式や美学、倫理は中世から長く日本の支配階級を律するイデオロギーのようなものとして機能してきたけれども、きっちりと体系だてて武士道を論じた書物はなかったという。
新渡戸は士族の出とはいえ、キリスト教徒であり、しかも英文で書かれたこの書物が「武士道とはなにか」という問いに歴史上、はじめて真正面から答えたというのは、なにか不思議な気がする。
日本人とはなにか、という問いは、ひょっとしたら明治と共に始まったのかもしれない。

『葉隠』には「武士道とは死ぬことと見つけたり」なんて言葉が出ているらしいけれども、そういう抽象的な物言いではなくて、文化人類学、宗教比較論、言語学、哲学、歴史学など、西洋的学問体系との比較から、より実証的に武士道とはなにか、ということを説いている。
聖書やコーラン、古事記、仏典などが他の学問体系との比較によって描かれているかというとそんなことはないのだけれども、近代の思想体系の中で説かれているため、古めかしい古典を読むよりもずっと理解しやすかった。
19世紀の日本人(もちろん特権階級だったとはいえ)に、これだけのものが書けたってのはとてつもない事だと思う。

社会的には武士という身分が亡くなった後、武士道がいったんリセットされた後に、このような書物が書かれた、というのは皮肉なようでもあり、また、当時の日本が置かれた状況と歴史を考えてみれば必然であったようにも思う。

ともあれ、世界中で今に至るまで読み継がれているのは、日本に対して興味を持ってくれている人たちがかなりの数いて、また日本人も自分たちの精神性がどこにあるか、と考えたとき、その答えの一端がここにあるからなのだろう。

日本人として生まれ、日本人として育った身としては、ここに書かれていることはそれほど新味にあふれたことでもないし、今まで個人的に武士道に抱いていた印象ともほとんど違うところがなかった。
ひたすら共感しながら読み、「やっぱ武士は美しいなあ」と思いながら読んだのだが、むしろそのことが驚きだった。

時代劇や時代小説、時代マンガに描かれる武士の精神性とそれほどかわらないものを欧米の教養体系との比較で語っている。
そのことがなんの無理もなく時代と地域を超えて読み継がれ、受け入れられているということにちょっとした感動を覚える。
ある意味で、今の日本人に武士道的生き方を実践している人などほとんどいないと思う。
それでも武士道の残滓のようなものは今の日本人にもきっちり受け継がれているし、武士道の美しさに惹かれる人は多い。
やっぱ日本人の帰る場所というのはここなんじゃないかと思う。
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