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Fラン大学を肯定できる社会

[ 2014/05/15 ]
不況の原因ってもちろんいろいろあって、一元化できるものではないと思うんですが、とりあえずデフレが原因だということになっています。いるんですが、物価があがっても賃金があがらなきゃ、不況はいつまでたっても終わりゃしないですね。
賃金上げるには労働力の価値が上がらなきゃならないわけで、労働力の価値をあげるには人手不足にする他に有効な手はない。
手っ取り早く人手不足にするには公共事業で雇用を創出することなんですが、それが「投資」にならなければただ単に借金を積み上げることになって一時的に景気回復の後押しになることはあっても、税金投入が終わってしまえば将来世代への負担だけしか残らない。
近代社会としてインフラ面で伸びしろがなくなってしまった日本において、投資になる公共事業というのは少子化対策以外にありません。子供は需要の塊です。子供が増えれば経済は回る。
逆に言えば、少子化対策をやればまだ伸びしろがあるということです。
それから労働時間の規制ももちろん、人手不足にする上で有効な政策ですし、働き過ぎだった人の余暇を確保することで娯楽業界の活性化、子育てのリソース確保に繋がります。
今の社会状況にあって、人手不足は正義です。
特にゲーム産業や映画、出版産業なんかは労働時間規制のロビー活動でもすればいいと思うんですがね。
人々に十分な余暇がなければそれらの娯楽を楽しむことはできないわけだから。


ということは何度もこのブログで書いてきたのですが、こういう長時間労働の規制と子育て支援の拡充をきっちりやれるなら、大学不要論って抑えられるんじゃないかな、と思ったんですよ。
以前、私はもっとシンプルにFランク大学不要論を考えていたんですが、少し考えが変わりました。

いつもの思考実験です。
言うまでもなく、人間は賢くなるべきです。
個々人はともかくとして、種全体としての人類は賢くなることが目的と言ってもいい。
だから大学進学率は本来であれば、高いに越したことはないです。
もちろん、その教育内容、教育方法は適宜見なおす必要はあるにせよ。
大学不要論が叫ばれる昨今ですが、それでも先進国の大学進学率はどこも低下傾向にはありません。

かつて大学進学というのは立身出世のためには必要不可欠なものだったけれども、今日では大学に進学したからといって、必ずしもいい会社に入れるわけではないし、いい会社に入ったからといってゆとりのある生活が保障されているわけでもない。もちろん、偏差値の高い大学であるほど、そうした生活を選択できる可能性は広がりますが、それでも確たるものとは言えない状況です。
奨学金で大学に通ったものの、返済することもままならないほどの低賃金に甘んじている人の話もよく聞きますね。
特にFランク大学に進学することにどんなメリットがあるのか、という議論はよく起こります。

ただ、これは現在の社会構造の元で生きていくには、という話でしかないように思うのです。
現状では、大学の存在価値って事実上、「大卒」という経歴を付与するだけの存在になってしまっているんですよね。
まだ大卒信仰は生きていて、学歴を基準にした評価、偏見も有効に機能していますが、それでも大卒の価値がどんどん下落している状況であることには変わらない。
先般、安部首相はOECD閣僚理事会において、大学を学術研究の場から職業教育の場にする、という内容の演説を行いました。

日本の大学では学術研究でなく職業教育を行う CHANGE YOUR DREAM!

…これで実用的な職業能力を早期に獲得し、即戦力となる若者が増えるだろう、という思惑なのだと思います。
ですが、それで企業にとって使いやすい、優秀な人達が仕事をしたとしても、彼らが生み出したものを必要とする人がいなければお金になりません。
日本という市場が瀕死の状況にあって、教育内容変えたってそれで景気がよくなる、ということはありえないです。
国際競争力をどんなに高めたところで、日本程の人口を抱える国が外需だけで成り立つわけがありません。
供給能力だけをどんなに高めたところで、需要とそれを支える購買力がなければ社会は回らない。
人手不足になれば、極端に優秀な人材でなくても雇用を得ることはできるし、逆に人あまりの状況であれば、ある程度日本人全体の職務能力を底上げしたところで、賃金アップにはならない。

そもそも大学で職業訓練する意味は無いです。高度な技能が求められるような職業の需要が大学教育を受ける人間全員分に存在するはずがない。
専門学校が別にあるのだからそちらにいけばいい。
そういう意味で、安部首相の演説というのは大学不要論を"名実"の"実"の部分から推し進める政策です。

大学というのは学問を学ぶ場であり、学問研究をする場です。
一見、実用的でないそういう学問の蓄積から生まれるものも社会の持続性の維持、発展に一定の役割を果たすことができたし、学識豊かな人が尊敬の対象たり得ていたから、かつてはその存在に信頼が寄せられていた。
ということは、社会から余裕が失われてしまえば一部のエリートをのぞいて、大学教育など必要なくなる、というわけです。
"実"の部分で職業学校にするくらいなら、とっとと"名"の部分も取っ払って働きに出たほうがまだマシです。
大学教育の4年間で学ぶよりもずっと実用的なことが、それこそ実地で学べるわけだから。

ただ、現時点においてもマクロな視点で見れば、上述したように人あまりの状況はずっと続いているので、労働価値の低下を防ぐ、という意味合いでは社会に出るのは遅いほうがいいです。
もちろん、個々人の人生においては必ずしもそうではないけど、社会全体として見た場合、ということです。


大学進学率が高まると、3K職場に人が集まらなくなる可能性が出てくる。だからFランク大学は潰してしまえ、という議論もあります。
実際問題としてはそこら辺の課題は移民で乗り切ろうとしているわけですが、これもまたちょっと違うような気がします。

これから社会はどんどん機械化が進行していって、それまである程度のスキルの持ち主でしかできなかった仕事もどんどんコンピュータが簡単に済ませてしまうようになる一方で、肉体労働はそれでも需要減にならないとも言われています。

テクノロジーは「中程度のスキルを持つ人」の雇用を奪う。「マックジョブ」と「高スキルの仕事」は生き残る イケハヤ書店

技術革新の進捗状況というのは正確に把握することは難しいのでなんとも言えませんが、今の状況でも大卒者全員分にふさわしい仕事が社会に存在するかというとかなり疑問です。
自己投資という意味では中ランク以下の大学への進学というのはかなりリスクが高い。
ただ、それでも大学を本来の理念の元に運営することができるのであれば、それは人生を豊かにする上で有望なツールとなりえます。
大学は別に若者だけでなく、社会人になったあとからでも入学する人はいくらでもいますからね。

いずれ、ごく一部を除くホワイトカラーとブルーカラーの賃金格差はどんどん縮まっていくか、逆にブルーカラーが優位になる可能性もある。ブルーカラーの需要が低くならない以上、賃金を上げていく他なくなるし、ホワイトカラーの仕事が供給過剰であれば、賃金は抑えられるわけだから。
そういう社会になりつつある以上、大学の存在価値を担保するには、大学をキャリア形成の場として位置づけるのではなく、教養を深め、人生を豊かなものとする場ととらえる必要性がより高まってきます。
と同時に、大学出たのになんでこんな仕事を…という自尊心の低下を抑制しなければならない。

それにもやはり長時間労働の規制が有効です。
労働時間が長いと、人間はその職場に過剰な帰属意識を持ってしまうものだし、職業が人間存在を規定してしまうかのような"錯覚"を抱いてしまうのですが、労働時間を短縮して、余暇に本来自分のしたかったことができるようになれば、自身の帰属意識を分散させることができるようになります。
今だってネットコミュニティやネトゲを熱心にやっている人はそちらにも帰属意識を抱いている人は多いはずです。
あるいは家族、地域コミュニティ、習い事の仲間、飲み友達、趣味の草野球や草サッカー、草バレー、バンド仲間とかに帰属意識の重きを置いている人もいるはずです。
長時間労働を抑制することで、そういう帰属意識の分散を促進させる。
そうすることで職業に偏った日本人の帰属意識、価値観を変えることができる。
そうであれば、今現在、社会的ステータスとして低く見られているような職業にも学歴の高い人が集まるようになるし、キャリア形成という価値観の枠外においても教養の涵養、学術研究の可能性とその裾野の担保という意味での大学の存在を積極的に認めることができるようになっていく、と。

我々日本人の多くの人生、現実は過酷なものとなってしまっていますが、それを解消するのに、どんなに個々人の能力を高めたところで社会全体としては幸福の総量は大きくならないし、少子高齢化が改善されない以上、むしろ、低下していく、ということを認識する必要があります。

とまあ、ここまで理屈をこね回して、社会構造を変えなければ、Fランク大学の存在を積極的に認めることはできないんですよね。
いや、今でも個々人の人生の損益計算においてはともかくとして、労働価値低下抑制という意味でFランク大学はあっていいんですが。
個々人の人生にとっても社会にとってもFランク大学が有益なものとなるには、という意味で考えると、こういう理屈が必要になってくるかなあ、と。

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