自己責任論の有効範囲 : 異常な日々の異常な雑記 QLOOKアクセス解析 アクセスランキング

ロックとオタクと思想と政経と社会について思いつきを垂れ流すブログ
お気に入りサイトの最新記事

スポンサーサイト

[ --/--/-- ]
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


↓よければアクセス&モチベーションアップ&話題の拡散に繋がるクリックを↓
ブログランキング・にほんブログ村へ このエントリーをはてなブックマークに追加follow us in feedly

全記事一覧    TOPページ

[ --/--/-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

自己責任論の有効範囲

[ 2014/06/02 ]
人間の本質というのは突き詰めるとただの鏡なんで、究極的には責任なんかとれるわけがない。
時代、国籍、性別、容姿、身長、体質、才能、家庭環境、教育環境、運不運といった本人の意思ではどうにもならない要素にがんじがらめに縛られた状態から人生をスタートさせなければならないのに、それらをすっ飛ばして「自己責任」とか「自業自得」とかいう言葉で何かを言った気になるのはただの思考停止にすぎない。

ただ、それでも自己責任という言葉に何かしらの説得力みたいなものがあるのは、我々が自由で機会均等で豊かな先進国の人間だから、という「ファンタジー」がある程度は信じられていること、「ある状況」に陥っている人を救うのに最も有効な手立てはその人自身の自助努力である、というケースが多いからだろう。

Aさんがひどい状況に陥っていても、Aさん自身にまず助かりたいという意思がなければAさんを助けることは困難だ。
Aさんにとって最大の味方はAさん自身である場合がほとんどであろうし、Aさんにもっとも影響力を行使できるのもAさん自身である場合がほとんどであろう。
Aさんの足を持ち上げようと思ったら、Aさん以上にAさんの足を持ち上げるのが簡単な人はいない、という意味で(もちろん一般論として)。
だからAさんをどうにかしようと思ったのなら、Aさんだけに責任があるわけではないけれども、Aさんに対してAさん自身が強制力を行使できれば非常に有効な突破口となりうるから、我々はAさんに「しっかりしろ」「がんばれ」などと激励の言葉をかけ、あるいは責任を追求しようとする。
ある人を真人間にするのにもっとも効率的なのはその人自身が真人間になろうと努力すること。
もちろん、「人間の幅」というのはかなり広いもので、ちょっとしたきっかけで立ち直れる人もいれば、周囲の厚い支援がなければ立ち直れない人もいる。
どうすれば立ち直れるかその方法が見つからない人だっているだろう。
ただ、いずれにせよその核にある「その人自身」の意志を動かさなければ、その人を苦境から救うことは難しいわけだ。(難しい、というだけで必ずしも不可能ではない、というところが浮世のさらに難しいところ)


ネット時代になって、我々は世界に対して自分の見解を簡単に表明することができるようになった。
自分のブログで、2ちゃんねるで、SNSで、ニコニコ動画で、はてなブックマークで、多くのサイトのコメント欄で。
そしてそれらの他人のコメントに我々は少なからず影響を受け、時として自身を同期しようとしてしまう。
空気を読まずにいられないし、その空気の中でうまいことを言おうとか考える。

そういうコメントというのは多くの場合、トピックに対する感想である。
たとえば、就職できなくて貧困に喘いでいる人たちがいるとか、海や山で誰かが遭難したとか、合コンで酒飲まされてレイプされたとかいうトピックが立てられた時に寄せられるコメントで、自己責任系のものというのは、あまり意味が無い。
そのコメントに共感が集まり、価値観として普及したとして、それでいったい世の中が少しでもよくなる、ということがあるだろうか。
自己責任能力に優れた人々だけの世の中になる、などということがあるだろうか。
まずありえない。
そうやって「人間の幅」を狭くするようなコメントが蔓延し、そこに共感が集まったところで豊かな世の中になる、などということは考えられない。

事件に対するコメントなど、所詮は多くの人にとって娯楽である。
娯楽だからその程度のコメントになるのも、その程度のコメントでコミュニケーションをとれたつもりになるのもわかる。
あるいは、自分の身の回りで困った人がいたら、まずその人自身の「自己責任」を追求しようというのもわかる。
だが、世論として自己責任を問う声が大きくなったところで、一時的な優越感に浸ることが出来たとしても、それで世の中がよくなる、などということはありえないし、苦境に陥っている人間をクズ扱いしたところで、クズがいなくなるということもありえない。

だから、そのクズがどうすればクズにならずに済むか、という社会の仕組みやその現象の背景を考察するコメントや意見が多くなればいいのに、と思うのだが、それはおそらく不可能だろう。
でも、「自己責任」とか「自業自得」という言葉はコメントとしてはレベルが低くて何の解決にも繋がらないし、それが何の留保もなく無邪気に共有され、価値観化してもろくな世の中にはならないし、それはただの精神論に過ぎないよ、ということはもっと多くの人に認識されてほしいな、と思う。

もっと端的に言えば、自己責任論は現在の社会状況的に、ミクロのレベルではそれなりに有効でも、マクロのレベルでは社会を疲弊させていく一因にしかならない、という話。

関連記事:人間の正体は鏡


貧困についてとことん考えてみた
NHK出版 (2013-01-28)
売り上げランキング: 43,674

関連記事


↓よければアクセス&モチベーションアップ&話題の拡散に繋がるクリックを↓
ブログランキング・にほんブログ村へ このエントリーをはてなブックマークに追加follow us in feedly

全記事一覧    TOPページ

[ 2014/06/02 ] 考察 | TB(0) | CM(-)
忍者AdMax

トラックバック:
告知

他アカウント等
・昔書いた小説
・Twitterアカウント
・はてなブックマーク

相互RSS募集中
何かあればこちらまで sencha.freak69■gmail.com
煎茶

ブログのコメント欄は閉鎖しました。コメントははてなブックマークかツイッター、もしくはメールで直接管理人までお願いします。

忍者AdMax


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。